怒り顔は真顔だが、どこか楽しげで、時折自分の言ってることに吹き出したりもする。吉幾三さんには、飛行機や新幹線にただで乗れる国会議員特権はないが、自由があるのだ。右とか左とか、政治なども関係なく、思ったことを言う、おかしいことをおかしいと言う、吉幾三として言う、おかしいと思うから言う、ちゃんと言う、である。その自由は誰に与えられたものでもなく、自分で信じ、育ててきたものである。

 見ているうちに不思議に心が軽くなる。「人の前出たらな、歩いている犬にもアイサツして歩けって、オレは言ってんだよ」などと言っている吉幾三さんに癒やされている。え、なにこれ、どうしたの私。多分、そのくらいに今、言論空間が窮屈ということなのかも。SNSで自分と違う考えの人間を断罪し、レッテルを貼り、誰が誰に「いいね」したとかで責め、互いが互いを監視するような社会で、このくらいの気軽さ、このくらいのゆるさで、自分の言葉で言いたいことを言える社会だったら、もう少し風通しがよくなるのではないかと、ついつい「俺ら、東京さ行ぐだぁ〜」と口ずさんだりしてしまって。

 吉幾三さんのチャンネルを見ながら、2018年に東京医大で女性差別受験が発覚したときのことを思い出した。私はあのとき、「東京医大前に集まりましょう」と人生で初めてSNSでデモを呼びかけた。あまりに腹が立ったからだ。ところがデモを呼びかけたとたんに、「医大前でデモだなんて入院患者に迷惑だ」とか「警察に許可を取ったのか?」とか「東医大に通っている男子学生の気持ちを考えたのか?」などとブレーキをかける声がいくつもあった。2019年に性暴力の無罪判決に抗議するフラワーデモを呼びかけたときも、「判決文を読んでからデモしろ」などと言う声は少なくなかった。

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人々の声を無視し続けた