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 心の奥底にためにためていた憤りが、衝動的に口から出た。思考は慣れ親しんだ言葉でするから、お国言葉。冷静に分析するならそういうところかもしれない。

 取調室から出た時、茨田は胸に楽譜を抱えていた。一応の勝利を収めたわけだが、それではすまないこともわかっている。そこに居合わせた羽鳥(草彅剛)に締め付けの厳しさを嘆き、こう言った。

「次、いつ歌えるんだが」。

 最後が「か」でなく「が」で、まだお国訛りを引きずっていた。茨田君でも弱音を吐くのか、と言われると「腹が立つと言っているんですよ。弱音じゃない」。いつもの東京言葉だった。

 冒頭のお国訛りは、この丸の内署でのお国訛りと明らかに違った。ささやきのような声で、女中には届かなかっただろう。心にためていたのは憤りだけでなく、虚しさや悲しさも一緒だった。そういうものを吐き出す時の、ささやかなお国訛り。胸を揺さぶる演出だった。

 前段がある。その前日か前々日だろう、茨田は海軍基地で慰問公演を開いた。黒のドレスで会場を下見すると、少佐が「明日もその格好で歌うのか?」と尋ねる。「まさか」と茨田。「これは普段着、本番はもっと華やかにいく」と。「海ゆかば」は歌えるか、「同期のさくら」はどうだ、と少佐。「歌えない。軍歌は性に合わない」が答えで、「私でお役に立てないなら」と帰ろうとする。ここまでは、戦争に迎合することを猛然と拒否してきた“憤り”の茨田だった。

 そこから、ぐっと変わった。会場の外から自分を見つめる若い兵隊たちに気づき、「あの子たちは?」と尋ねる。そして、彼らが特攻隊員だと説明される。茨田を見つめる彼らのキラキラした目に、少佐も折れる。「彼らの望む歌を歌ってくれ」と。

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 当日、肩の露出した青いドレスを着た茨田は「別れのブルース」を歌った。歌い終わると隊員たちが口々に礼を言う。「晴れ晴れといけます」「もう思い残すことはありません」「元気でゆけます」「いい死に土産になります」。茨田は舞台を下りると、声をあげて泣いた。そして迎えた終戦だった。

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「戦争なんて、くそくらえよ」