映画『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』より (c)TBS

 2004年にもやはり「NEWS23」からの依頼を受け、「WAR&PEACE」と名付けられたプロジェクトを行っている。視聴者から送られた平和を願う言葉を坂本のアルバム『CHAZM』収録曲「War&Peace」と組み合わせ、番組内で披露。YMOのメンバーだった細野晴臣、高橋幸宏も参加し、大きな話題を集めた。

 その後も森林保全団体「more trees」の活動、震災後の反原発運動への参加、岩手県、宮城県、福島県に住む学生による楽団「東北ユースオーケストラ」の音楽監督、2016年の安保法制反対デモへの賛同など、数多くのアクションを続けてきた坂本龍一。21世紀以降の坂本は、社会運動家としても強い存在感を放っていたと言っていいだろう。

30代まではほとんど社会的なイシューに関わっていなかった

 坂本が環境や平和を訴える運動に関わるようになったのは、じつは40代後半になってからだ。本作『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』における筑紫哲也との対話のなかでも「(戦争反対など)大義を持ち出すと全体主義的になる恐れがある。なので長い間、社会的な発言は避けてきた」という趣旨の発言をしているが、このコメントが示す通り、30代まではほとんど社会的なイシューに関わっていなかった。

 その理由の一つはおそらく、高校時代に体験した70年代の全共闘運動。坂本自身も都立新宿高校でアジ演説を行うなど積極的に参加していたようだが、全共闘運動の終焉とともに政治運動と距離を取るようになった。筆者は80年代、坂本龍一がDJをつとめていたラジオ番組「サウンドストリート」の熱心なリスナーだったが、番組のなかで言及される全共闘運動(世代)への態度はかなり冷ややかだったと記憶している。

 しかし前述した通り、21世紀に入ると坂本は再び社会への関心を強め、実際の行動に移していった。ニューヨークの自宅近くで起きた同時多発テロ、その後に勃発したイラク戦争、そして東日本大震災。歴史に残る出来事や災害を目の当たりにして、“これからの世代のためにも自分たちが何かしないといけない”という思いに駆られたのは想像に難くない。『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』のなかでも語っているように「これはいくら何でもひどい」という状況が彼を突き動かしたのだ。

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教授の残した言葉