国際共同開発した防衛装備品(完成品)の第三国輸出を認めるか否かについて、自民党と公明党の間で議論が進められている。
【驚きの対応】中国とのパイプ役で公明党よりも存在感を示した野党の党首はこの人
具体的には、日本がイギリス・イタリアと共同開発する次期戦闘機を第三国に直接輸出することを認めるかどうかが争いの焦点だ。
ただしこれは表向きの話で、両党の間では事実上これを認める方向では暗黙の了解があり、それを公明党の顔が立つように決めていくプロセスで綱引きをしているという状況だと筆者は見ている。どういうことか解説しよう。
日本の武器輸出政策と言えば、誰もが思い浮かべるのが、「武器輸出三原則」だ。これを正確にいうと、昭和42(1967)年に当時の佐藤栄作首相が輸出貿易管理令の運用指針として国会で表明した「武器輸出三原則」と昭和51(1976)年に当時の三木武夫首相が国会で表明した「武器輸出に関する政府統一見解」の二つからなる。ニュースなどで「武器輸出三原則等」と呼ぶのはこのためだ。
これにより、実質的に武器及び武器技術の全面禁輸措置が実施されていたことは多くの人が知っている。
しかし、これは法律ではないので、時の政府の意向で如何様にも変更できるという弱点があった。
安倍晋三元首相は、その点をつき、政府だけの判断で、2014年に「武器輸出三原則等」を事実上廃止し、「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。同じ「三原則」でも前者は武器輸出を止めるためのもの、後者は武器輸出を促進するためのものであり、全く異質のものだ。
しかし、注意しなければならないのは、この新三原則の決定は突然行われたわけではないということだ。自民党は、それまでの間に、少しずつ例外を作ってきた。
最初の例外は、昭和58(1983)年1月に作られている。米国の日米防衛技術相互交流の要請に応じ、対米武器技術供与に限って、初めて武器輸出三原則の例外を中曽根康弘内閣が決定した。その後も国際平和協力業務に必要だとか、日米共同開発のために必要だなどという理由をつけては例外を認めた。緩和措置をとった回数は新三原則ができるまでの間に何と21回にも達した(参議院外交防衛委員会調査室の沓脱和人氏の報告書による)。