シカゴ・ホワイトソックス戦の5回に2ランホームランを放った後、一塁手のフレディ・フリーマンと握手するロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平(右)=2024年2月27日、米・アリゾナ州フェニックス(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

「今や大谷は(アメリカの)野球界で唯一のセレブ」だとヘルナンデスは言う。

 大谷の古巣ロサンゼルス・エンゼルスのスプリングトレーニングも、昨年までとは大きく雰囲気が変わった。

「ずっと静かになった」と話すのはエンゼルスの地元紙オレンジ・カウンティ・レジスターで番記者を務めるジェフ・フレッチャー。毎日20~40人は取材に来ていた日本メディアがいなくなり、文字媒体の記者3人と地元テレビ局関係者だけとなった。

「これまでが異常だっただけで、普通に戻ったと言う方が正しい」とフレッチャー。

「良しあしあるよね。大谷は記事になるようなすごい活躍をしてくれたけど、ロッカールームにすごい数の記者が詰めかけていたから、監督や選手たちに取材するのが大変なこともあった。あまりにメディアが多くて、居心地悪く感じていた選手も中にはいた」

 同じくエンゼルス番記者を務める、スポーツメディア「ジ・アスレチック」のサム・ブラムは、混雑がなくなり取材しやすくなったと同時に、大谷というビッグスターや親しくなった日本人記者たちがいなくなった寂しさを感じていると話す。

「ロッカールームに入ると、これまでのように何十人もの人はいないし、大谷もいない」とブラム。「でも僕らや選手たちも、みんな前に進んでいると思う。選手たちは大谷について聞かれることもなくなって、少しプレッシャーが減ったんじゃないかな。大谷のためにも勝たないとっていう重圧もね。これまでより、みんなリラックスしているように見える」

(在米ジャーナリスト・志村朋哉)

AERA 2024年3月11日号より抜粋

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