早稲田大学時代の渡辺康幸

 衝撃的なレースだった。2月25日に行われた大阪マラソンで、国学院大3年の平林清澄が日本歴代7位にして初マラソン日本最高となる2時間6分18秒で優勝。実業団や海外選手をおさえ、会心の走りでゴールテープを突っ切った。このレースを経て、平林の今後の活躍に期待すると同時に、過去の「箱根のエース」たちの“初マラソン”を振り返りたい。

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 今でも真っ先に思い浮かべる“箱根エース”と言えば、渡辺康幸(1992~95年度、早稲田大)だろう。1年生から「花の2区」を任されて総合優勝に貢献すると、3年生の時には2区で「7人抜き」を達成して区間記録を更新し、甘いマスクも相まって絶大な人気を誇った。その渡辺の初マラソンは、大学卒業直前の1996年3月に走ったびわ湖毎日マラソンだった。アトランタ五輪予選会でもあったレースに大きな期待を背負って出走すると、35キロまで優勝争いに加わった。だが、そこから失速して7位でフィニッシュ。タイムは2時間12分39秒だった。その後、エスビー食品へ入社したが、度重なる怪我に苦しんでマラソン出走は計3度のみ。初マラソンが自己ベストのまま現役から退いた。

 その渡辺の区間記録を破って名を上げた男が、三代直樹(1995~98年度、順天堂大)だった。最終学年で2区区間記録を2秒更新する1時間6分46秒の圧巻の走りを見せ、順天堂大の10年ぶりの総合優勝に大きく貢献した。卒業後は富士通に入社し、2001年の世界選手権10000mに出場(22位)。そして2003年の東京国際マラソンで初マラソンに挑むと、2時間10分33秒の好タイムで4位に入った。まずまずの初マラソンでその後の活躍が期待されたが、渡辺同様に故障禍で、2007年に福岡国際マラソンで自身2度目のマラソン出走もタイムは悪化。2008年に現役引退した。

 一方、三代と同学年のライバルだった藤田敦史(1995~98年度、駒澤大)は、初マラソンでの好走から卒業後も活躍したランナーだった。箱根に4年連続で出走した後、大学卒業前の1999年3月のびわ湖毎日マラソンで自身初のフルマラソンに挑むと、みぞれが降る悪天候にも屈せず、2時間10分7秒の2位(日本人トップ)でゴール。瀬古利彦が持っていた日本学生記録を20年ぶりに更新する走りを見せた。その後、富士通に入社した藤田は、1999年、2001年と世界選手権にマラソン代表として出場(6位、12位)した。2013年に引退するまで多くのレースを走り、自己ベストは自身3度目のマラソン出走となった2000年12月の福岡国際マラソンの2時間06分51秒(当時の日本記録)だった。

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いきなり“快走”披露したのは?