筆者はロシアのネット通販でこれらの本が買えるのか、実際に確かめてみた。『ノルウェイの森』(ロシア語版)はロシアの各種ネット書店で買える。一方、女性の主人公が女性を好きだという場面のある『スプートニクの恋人』は、メガマーケット社などでは入手できない。やはり、女性が好きな女性と同居する場面がある、吉本ばななの『ハードボイルド / ハードラック』も同様だ。しかし、大手「OZON」社はいずれも購入でき、対応は各社まちまちのようだ。

 どうやらロシアのネット出版業界の「忖度」があったというのが真相のようだ。ロシアメディア「コメルサント」などが、その背景を明らかにした。

  それによると、「禁書リスト」が作られたのは1年余り前の2022年11月〜12月。当時、改正されたLGBTプロパガンダ禁止法が発効する寸前だった。それまでの禁止法では児童向けの「プロパガンダ」は禁止されていたが、その対象を成人も含め全国民に拡大するという改正だった。

  コメルサント紙に対し、メガマーケット社は「ロシアのネット書店は、(先回りして)LGBT関連の本を書棚から隠した」と述べた。そして、「禁書リスト」は、ネット出版業界が、「禁止法」の採択を前に、「それがどう機能するかが分からず、悪いケースに備えよう」として、作ったという。

  この騒動のもととなった「ネット通販協会」のソコロフ会長は21日、ロシア国営ノーボスチ通信に対し、「禁書リスト」の一覧について次のように述べた。

 「一覧は確かに存在したが、下院での法案審議の時期に作られた。(ネット出版)業界が、法の対象となりうるものを、目に見える形で(会員会社に)示そうとしたものだ。現在は、この一覧は有効ではない」

騒動の背景の根深さとは…

  ただ、この「禁書騒動」の背景は根深い。プーチン大統領の「LGBT嫌悪」と、ウクライナ戦争の影響が見え隠れする。

  プーチン氏はウクライナ侵攻を、欧米的な価値観からロシア人を守る戦いと位置づける。「ゆがんだ価値観」とみなす代表格が、LGBTだ。ロシア最高裁は2023年11月、LGBTなどの活動を「過激派」認定し、活動を禁止。それに先立つ同年2月、プーチン氏は大統領年次教書演説で、「児童虐待、小児性愛までが、彼ら(西側エリート)の規範とされ、(西側では)聖職者や神父は、同性婚を祝福することを強要されている」と述べた。今年1月、虹色のピアスをつけたロシア人女性が、虹色がLGBTを連想させるとして、逮捕される事件も起きた。

  だが戦争中の今も、多くのロシア人がYouTubeで、村上作品への愛を語っている(YouTubeはまだ禁止されていない)。19歳のロシア人女性は今年2月、『ノルウェイの森』のロシア語版の一節をYouTubeで朗読してみせた。

 「君が大好きだよ、ミドリ」

「どれくらい好き?」

「春のくらい好きだよ」(「下」 172頁)

「春の熊って、なんていい愛の例えなの。私はバレンタインも男の子が現れなかったし、美人でもないし……。あこがれるわ、こういうの。ナルシズムがかきたてられる」

  バレンタインの日は、女性が男性にチョコレートを渡す日本と異なり、男性が女性に贈り物をする。「非モテ」の日常の不満を彼女は、村上作品の朗読で晴らしたかったのだろうか。村上作品が、一部のロシアの若者にとって「恋愛の教科書」であり続けている。

  今回の禁書騒動は権力者への忖度が働いた結果とみられるが、当のプーチン氏は来月15日に迫る大統領選向けのパフォーマンスには余念がない。今月22日、戦略爆撃機のコックピットに乗り、飛行してみせた。これまでも上半身裸で乗馬したり、オフロードバイクで走ったりしてきたプーチン氏。彼の「逞しさ趣味」は、村上文学と対極にあるのかもしれない。(岡野直)

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