「ただ、私を愛してほしかった。神様ではなく私を見てほしかった」
遺書には親への思いと、苦悩がつづられていたという。
「でも、あくまでAさんの解釈だからね」
Zさんが付け加えた言葉は今でも忘れていない。
自死に追いやった宗教虐待への怒りと、自分への悔い。
「Aちゃんがさらっと話してくれたことは、よく考えたら、ものすごく重いことだった。もしかしたら私に『一緒に逃げよう』って伝えようとしていたのかもしれない。そのことになにも気がつけなかった」
SNSを通して、宗教2世たちに取材を始めた。話を聞いてほしいという2世がどんどんと増え、最終的には300人に達した。映画化を決意すると、平田さんの熱意に共感した映画関係者や宗教2世たちが協力してくれた。クラウドファンディングなどで寄付を募って、完成にこぎつけた。
平田さんは、
「なぜ宗教虐待が起きるのかを、多角的に描きたかった」
と話す。
『宗教1世』になった私だからこそ
映画には、「悪人」がひとりも登場しない。すずの苦悩だけではなく、すずを苦しめる母にも、新興宗教にハマるに至った心の傷と地獄があった。そしてその原因を作った人物も、また苦しみを抱えていた。
宗教1世はだまされて入信した、かわいそうで、おかしくなってしまった人。2世は、ただのかわいそうな人。そんな単純な話ではない。
「一時期とはいえ、新興宗教にハマり『宗教1世』になった私だからこそ、2世の現実だけではなく1世の目線にも立って、ありのままを伝えなくてはならないと考えたんです」
安倍晋三元首相の銃撃事件をきっかけに光が当たった宗教2世の問題。
「宗教虐待がなくなることは絶対にないと思います」と平田さんは断言する。なくならないからこそ、宗教虐待がどのようなものか、社会の理解を得ることがAさんのような悲劇を減らす唯一の道ではないか。社会の理解があれば、2世を孤立させず、居場所を作ることができるかもしれない。