鬼舞辻無惨の「誘惑」と「救い」
『鬼滅の刃』で描かれる鬼たちは、突発的に鬼化してしまった場合をのぞけば、人として「幸せな生」を得ることができなかった者ばかりです。病の苦しみ、貧困と差別、達成できなかった夢、他者と異なる自分、疎外と孤独……。始まりの鬼・鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)は、脆(もろ)く、か弱い人間の耳元で優しくささやきかけます。
「可哀想に 私が救ってあげよう」(鬼舞辻無惨から累へ/5巻・第43話)
「ならば鬼になれば良いではないか 鬼になれば無限の刻を生きられる」(鬼舞辻無惨から黒死牟へ/20巻・第178話)
「救済者」のように手を差し伸べる鬼
無惨の言葉は、自分の手駒となる鬼を集めるためのものではあるものの、一定の説得力がありました。そもそも無惨は「上弦の鬼」もかなわぬ圧倒的な強さを誇っているわけですから、配下の鬼の機嫌をとる必要はまったくありません。それでもあの無惨が「可哀想に」「お前は優れている」と口にする時、少なからず、無惨の本心、感情的な要素が含まれているように思われます。「鬼になる道をみずから選んだ人」というのは、その生涯を不幸のままに「閉じる」ことができなかった者たちです。耐えがたい苦しみに悩まされ続けた彼らにとって、鬼・鬼舞辻無惨はまぎれもなく「救済者」でした。
「教祖」としての務めをはたす鬼・童磨
無惨以外で「人間の救済者」としての姿が頻繁に描かれるのは、上弦の弍(に)・童磨です。彼はいっぷう変わった存在で、人間社会にとけこみ、新興宗教の教祖としての顔を持っていました。彼は人々の話に耳を傾け、その苦しみを救う神仏の“真似事”をします。
「俺は “万世極楽教”の教祖なんだ 信者の皆と 幸せになるのが 俺の務め その子も残さず奇麗に喰べるよ」(童磨/16巻・第141話)
童磨は、可哀想な人たちを救うことが自分の使命だと言いながら、「神の声なんて一度も聞こえなかった」という事実は心に秘めたままです。信者のことも「頭が悪いとつらいよね」と悪気なく毒づく場面があります。