“わかりやすさ"の妄信、あるいは猛進は、社会にどのような影響を及ぼしているのか。「すぐにわかる! 」に頼り続けるメディア、ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書、「4回泣ける映画」で4回泣く人たち……。「どっち」?との問いに「どっちでもねーよ!」と答えたくなる機会があまりにも多い。武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』から、ラッパーのTaiTanさんによる文庫解説を特別に公開する。
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罪の告白からはじめたい。
かつて、「わかりやすさ」で稼いでいたことがある。
高校3年生の頃だ。私は巷で知られたYahoo!知恵袋の回答マスターだった。
突然何の話だ、と思うだろう。私とてこんなことをカミングアウトするのは苦々しい。ラッパーのブランディング的にも厳しいものがある。だが、この話をしないことには本書の解説など務まらないので、説明を続ける。
当時の私は、ひとりで勉学に励む模範的受験生だった。同級生たちは皆、予備校に通っていたりしたらしいが、私の実家の家計にそんな余裕はなかった。それに、今まで放課後につるんでいた悪友達をも次々と吞みこんでゆく予備校という存在自体をやっかむ気持ちもあり、あんなものに関わるくらいなら独学を貫いてやらあと息巻いていたようにも思う。あるいは、「今でしょ!」だなんてこちらに指差してくる男が台頭してきたのもこの時期で、その手の誘導を学生なりに過剰に警戒していたのもあったかもしれない。
そんな私が、独学のお供にしていたのがYahoo!知恵袋なのである。今はどうか知らないが、当時の知恵袋の学問カテゴリーにはたくさんのプロフェッショナルが滞在していて、大学受験勉強程度の質問なら割とまともな回答をよこしてくれた。それに参考書とちがってピンポイントで痒かゆいところに手が届く回答が期待できるのだから、使わない手はなかった。
だが、回答者はChatGPTではない。生身の人間である。つまり、無償では済まない。回答をお願いするには知恵コインと呼ばれる知恵袋内でのみ流通する独自通貨を払わなければいけなかった。特にカテゴリーマスターと呼ばれる、品質保証済みのアカウントからの回答を得るにはより高額の知恵コインを必要とした。