十二歳で元服した光源氏は、左大臣の娘「葵上」と結婚する。光源氏十七歳のおり、方違のため訪れた中流貴族の若妻「空蝉」を盗み密通をなす。……という具合に、光源氏と関係を持った女性は「葵上」「空蝉」「軒端荻」「夕顔」「紫上」「末摘花」「六条御息所」「源典侍」「朧月夜」「花散里」「明石の君」など、様々だ。当然そうした女性とは、あざとい関係、すなわち密通もあった。

 ここで倫理を持ち出し『源氏物語』に負のレッテルを付すことは無意味だろう。王朝人の心性で眺めるならば、光源氏の女性遍歴は“種”の保存と継承による貴種の再生という面もあった。ただし、重要なのは光源氏とその女性たちの間に時々での真剣さを伴っていたという点だ。それを「愛」と呼ぶかどうかは、疑義もあろうが……。

 そうした王朝の色好みの世界には、造語だが、「貴族道」と覚しき場面も同居する。光源氏の“振舞い”には、その「貴族道」も垣間見られた。ならば、それはどのようなものか。

光源氏という「貴族道」

 光源氏の存在には、理念化された“あらまほしき”貴族としての姿が投影されている。”あたかも“貴族道”の語感が似つかわしいのではないか。“光ノ君”に体現されている理念としての、貴族像の描写である。かりに「粗ニシテ野ナレド、卑ニ非ザル」世界が、「武士道」だとすれば、「卑」ではないことは共通するが「粗野」からも距りのある世界こそが、「貴族道」ということになろうか。

「粗野」は暴力や武力と同居する。したがって、これに訴えることを恥とみなす立場が「貴族道」ともいえる。いわば「文道」主義を是とする思考だろう。「粗野」との対比でいえば、「優雅」ということになる。「優雅」さとは「貴族道」に付随する“振舞い方”だった。

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マメ男ぶりが光源氏の真骨頂