作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。理I出身の小川哲さんは小説の執筆は数学を解くような感覚と言います。
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大宮:書きたいものって、どこから生まれてくるんですか。
小川:僕の場合は、書きたいこと、伝えたいことがあるというよりは、小説を通じて、考えてみたいことがあるっていう感じですね。こういう立場の人って何を考えてるんだろうとか、どうしてこういうことをしたんだろうとかを、小説というツールを使って考えてみたいんです。
大宮:じゃあニュースの事件から、発想したりもするんですか。
小川:そういうこともありますね。
大宮:小説の着想が湧いたときには、結構調べるんですか。それとも自分の空想で展開するんですか。
小川:調べながら書く感じですかね。ただ、調べすぎちゃうと、読者と知識量というか、視点が離れちゃうことがあって。だから、知らない人が興味を持続してくれる“距離感”みたいなのを、自分の中で適宜、調節しないといけなくて。
大宮:それでも、物語の結論を出すのは、自分じゃないですか。
小川:調べて分からないことをあれこれ考えるのも楽しいですし、調べて分かっちゃったことでも、資料にそのプロセスや理由が書いてあるわけじゃない。その人からどういうことを考えて、どういう経緯で、そこにたどり着いたのか、必要があれば考えるっていう感じですかね。
大宮:やっぱり理系的な脳が発揮されてるんですかね。東大では理Iでしたよね。
小川:どうなんですかね。小説を書く上で、論理的に矛盾しないように、というのは意識しますけど。小説を書き終わったらまた頭から読み直すわけですよね。そうすると、間違いとか、面白くないところとか、登場人物の行動がとっぴに感じられる箇所があったりして、直します。それって、数学で途中式の間違いに気づいて、全部書き直すみたいな感覚に、すごく近いです。