その為時は貞元二年(九七七)、花山天皇の東宮時代に副侍読を務めた。花山朝で為時は式部丞の官位を得る。「紫式部」の名はこの父の官職に由来する。けれども伯父同様、父為時もまた天皇の退位により、散位(位階のみで官職がない)の悲哀を味わわされる。

 十年後、為時は受領のポストを与えられる。寒門の出身者にとって受領になれるか否かが、大きい分岐点だった。一条天皇の長徳二年(九九六)の正月の除目で、念願の受領となった(『日本紀略』)。

 当初、為時の任国は淡路国だった。だが淡路は大国ではない。為時は「苦学ノ寒夜、紅涙襟ヲウルホス」(寒き夜の苦学も甲斐なく希望の地位につけず、血の涙にむせびます)との漢詩を提出、それが道長や一条帝の心を動かし、大国越前国守への就任が実現したとの逸話(『今昔物語』巻二十四―三十)もある。

 いわば“芸ハ身ヲ助ク”のとおりになった。“詩徳”説話に類した内容で、興味深いものがある。文才(漢詩)のおかげで任官できたというのが事実かどうかは別にしても、父為時の漢才については、右の逸話が創られるほどに優れていたようだ。『源氏物語』にも語られている多くの中国故事には、そうした為時からの影響もあったはずだ。

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関幸彦

関幸彦

●関幸彦(せき・ゆきひこ) 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。

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