式部一家の場合、父為時も為頼の場合も、花山朝での人事が影響した。花山天皇にかかわる人脈で、中下級貴族ながらその後の出世が期待されたからだ。

 永観二年(九八四)に師貞親王は即位、天皇(花山)となる。式部の父や伯父の位階は上昇、一族への順風が期待された。だが、天皇の突然の退位と出家にともない期待は潰れる。中下級貴族の出世の運命は、天皇の外戚とどう繋がるかが大きかった。式部の父方の躓きは、その花山天皇との関係によっていた。

 式部の父為時の場合も、その花山天皇の「寛和の変」で沈むこととなる。式部は十歳の幼少期より父から漢籍の教育を受けた。幼少期での教育はその後の素養と結びつき、『源氏物語』にも彩りを添えている。伯父為頼からは和歌の才を、父からは漢学の才を与えられた。紀伝道(歴史学)や文章道(漢文学)での修練を積んだ、父為時からの賜物ともいえる。

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“芸ハ身ヲ助ク”のとおりになった