中2で1カ月ぐらいオーストラリアにホームステイして、中3では中国の洛陽に1カ月弱ホームステイしました。高1のときは高校のプログラムで英国に1カ月行き、高2ではトルコに行きました。これはプログラムでも何でもなく、知り合いのつてでホームステイできるというので行ってみたらおばあちゃん3人暮らしの家で、同世代の子どももいないし、ここにずっといてもなあと思って1人でトルコを1周しました。お金がなかったので、宿代を浮かせるために夜行バスを乗り継いで、バスがないと町で出会った人に「すみません」みたいな感じで家に泊めてもらいました。
――えっ、トルコ語でしょ、そこ。
トルコ語です。どうしてたのか。多分、通じてはいなかったと思うんですけど。
そのうち自給自足の生活をしているようなところに行きたくなって、途中で出会った人がうちの親戚はそういうところに住んでるよと教えてくれたので、バスで行きました。あとあと調べると、トルコの一番東のクルド人エリアだったんじゃないかと思うんですけど、どうやって連絡をとって行ったのかもはやわからない。親にも1カ月全然連絡してなかった。
――基本的に夏休みに行ったわけですよね。
はい。終業式の前から宿題をやって、3日くらいで片付けて行ってました。
――そうすると、クラブ活動はやらなかったの?
スポーツ少女だったんですけど、学校の部活は合わなかった。スポーツクラブで小学生のときは水泳、中学時代は硬式テニスをやっていた。高校に入るとき、Jリーグが盛り上がっていて、弟ともよくサッカーをやっていたので、男子サッカー部にちょっと入れてもらった。そうしたらすごく体力差っていうか体格差を痛感して、そのとき初めて女性と男性の違いを認識させられて、かなりショックな出来事でした。
で、バスケ部に入りました。と同時に、中3ぐらいからマラソンにはまってて……。マラソンはもともと両親がやっていて、朝に1時間とか走り込んでそれから高校で朝練、また夕方練習みたいなことをしていたら、膝を壊しちゃって。整形外科に行ったら、どっちかにしなさいって言われて、バスケは高2ぐらいでやめました。
高校のときにもう一つやっていたのが料理です。母親は休日にはボルシチやピザなど当時としては家庭であまり出ない料理を作ってくれることもありました。でも、ファミリーレストランとかに行かない家だったから、オムライスとか明太子クリームパスタとかに憧れがあって、それを食べたいと思ったら自分で作るしかない。他にも、粉からパンを作ったり、お菓子を作ったり、麺を作ったりするのがすごく面白くて。
それで、料理人になりたいと思って、調理師学校の入学資料を取り寄せて、どうしようか悩んでいた。そういう相談はよく父親にしていたんですけど、父は決して否定せず聞いてくれました。
結局、決断できずに高3の秋にひょんなことから東大に行こうと決心した。それから勉強しても1年目は普通に落ちました。それで東京の予備校へ。それまで勉強していなかった分、成績はどんどん伸びて、数学と物理が好きで理I(工学部・理学部進学コース)に入りました。