ところが、受かってから目標がなくなってしまって総崩れしたというか、学部を卒業するのに7年かかっているんですよ。

――まあ!

 いま考えると、かなり鬱っぽくなっていた。過食症だと思うんですけど、全然自分をコントロ―ルできない状態で、体重も倍ぐらいになった。ただ、大学では部活をちゃんとやりたいと思って、ビッグバンドジャズのサークルに入りました。子どものころからピアノはやっていたんですけど、先輩に勧められてあまり人気のないトロンボーンをやることにしました。

――トロンボーンって難しいでしょう?

 そうなんです。後から失敗したと思った(笑)。でも、最初に「やめない」というのを目標にしたから、居座ったっていう感じで、3年目にはバンドマスターをやって。大学には来ていたし、孤立していたわけではないんですけど、授業にはあまり行かなかった。

 で、1年留年して、そのあと休学にしたのかな。サークルが3年目の12月で終わりなんです。もともと大学に入ったらバックパッカーをやりたいってずっと思っていたので、サークルを引退したらすぐ旅に出ました。

 中国から入って、その後、アラビア半島に飛んでUAE(アラブ首長国連邦)、オマーン、イエメン、それからエジプトで高校時代の友達に会って、いったんイエメンに戻って現地で仲良くなった友人の結婚式に出た。そこから今度はアフリカに飛んでエチオピアとケニアを回って帰国しました。だいたい半年くらい。

――お金はどうしたんですか?

 アルバイトで稼ぎました。中東やアフリカはアジアと比べると物価も高いので、お金がすぐなくなる。なくなったら帰国して、またバイトして、お金をためて行く、というのを続けていました。

――大学は全然ご無沙汰?

 はい。家族には、もう辞めたいとか、やっぱり料理人になりたいとか話していました。

――お父様は何と?

「今すぐ決めなくてもいいんじゃないか」みたいな感じ。それで、西アフリカのベナンという小さな国に行ったときに、大学に戻ろうと思う出来事があったんです。

【後編:東大在学中「恵まれた自分を卑下」して70カ国を放浪もフッと悟る 女性都市工学者39歳が向かう先】に続く。

都市工学者の小野悠さん
都市工学者の小野悠さん

小野悠/1983年、岡山市生まれ。東京大学卒、工学博士(東京大学)。愛媛大学防災情報研究センター特定准教授、松山アーバンデザインセンター副センター長などを経て2017年に豊橋技術科学大学大学院工学研究科講師、22年1月から准教授。同年4月からは学長補佐も務める。インフォーマル市街地の研究で日本都市計画学会論文奨励賞や日本建築学会奨励賞などを受賞。日本学術会議連携会員(第25期若手アカデミー幹事)。日本科学振興協会(JAAS)第1期代表理事。

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