オフにFAとなり、ドジャース入りした大谷翔平の新天地での春季キャンプ(バッテリー組が現地9日、野手組が14日)が始まろうとしている。今ではすっかり米国でもスターの貫禄を見せており、エンゼルス1年目の春季キャンプで時折見せていた戸惑う姿が懐かしく感じる。
【写真】イチローだけじゃない!MLBの年金額「満額支給」の日本人選手がこちら(ほか3人)
「僕は決してネガティブになることはありません」という言葉を、当時の大谷の口から何度となく聞いた。本音の部分もあったのだろうが自らを奮い立たせていたのかもしれない。
「日本ハムからポスティング制度でのメジャー挑戦が容認され、話し合いをした時も多くの質問をされた。条件面ではなくキャンプでの過ごし方や投打二刀流での調整方法だった。可能な限り情報を得てから渡米したかったようだ」(MLBアジア地区担当スカウト)
2018年2月14日に米アリゾナ州テンピでキャンプインを迎えた。初日終了後には「練習のやり方も回り方も全然違う。初めてやったスタイルだが慣れていけばもっとできる」と大谷は語っていた。
「メジャーでの初キャンプでは全てが手探り、覚えることだらけだった。投打二刀流ということで両方の練習メニューを覚えて実践しなければならない。当時は英語の理解力も今ほどではなかったので苦労したはず」(在米スポーツライター)
大谷本人の前向きな姿勢と強い意志、そして明るく素直な性格もありチームへ溶け込むのは早かった。加えてグラウンド内外で公私にわたってサポートしてくれる通訳・水原一平氏の存在も大きかった。水原氏は今や日本人なら誰でも知るような有名人となり、スマートに仕事をこなしているイメージもあるが、メジャーでは初の通訳の仕事だっただけに大変な苦労もあったようだ。
「水原氏は日本ハムでの通訳経験はあったがMLB球団での仕事は初でメモを取りながら奮闘していた。重圧も大変だったろうが笑顔を絶やさず時にはイジられ役にもなった。大谷にとって何より心強かったはず」(元日本ハム担当記者)
水原氏はレッドソックスなどで活躍した岡島秀樹氏の通訳としてヤンキース職員になるはずだったが、(岡島氏に)フィジカルチェックで異常が見つかり2人ともに契約解除となった。エンゼルスでは自身も慣れない中で大谷をサポート。大谷とメジャーのキャリアを二人三脚で歩んできたと言っても過言ではないだろう。