世界科学フォーラムで一緒にパネル討論に参加した国際学術会議会長のピーター・グラックマン博士(右)、南アフリカのナレディ・パンドール国際関係・協力大臣(中央)との記念写真=2022年12月、南アフリカ・ケープタウン、外務省提供

科学の共通言語としての数学

 一方、東北大のWPI-AIMRは2007年に採択され、そのとき私は全然関わっていなかったんです。あくまで材料科学の拠点でした。ところが、東北大の先生が質の高い研究をするのは当たり前で、今までにない新しい材料科学とは何か、どのようにして生み出すのか、大学本部でもいろいろ知恵を絞って、数学を入れるといいんじゃないかという話になってきた。

 材料科学って実はいろんな分野の人が集まっているんですね。金属系や物理系の人もいれば化学系もバイオ系もいて、そういう人たちが分野を超えて相互理解することは予想以上に大変だった。これは異分野融合研究に共通する課題です。そこに数学が入ると、科学の共通言語だから意思疎通が進むのではないかということで、私が招かれた。おそらく、クレストに採択されていなければ声はかかっていないと思います。

――なるほど。小谷さんが入ってから、狙い通りに研究が進んだんですか?

 そうですね。割と高く評価されたとは思っています。時代もちょうどデータの時代で、データに基づいた材料探索というようなものがはやり出した。我々が方向性を示したのははやる前だったので、先見の明があったということになりました。

研究者みたいな生き方をしたい

――そもそも、小さいころから数学が好きだったのですか?

 好きになったのは、中学生からですね。図書館で数学の本を読んでわからないことにぶつかると、数学の先生のところによく質問に行っていました。数学に限らず、本を読むのがすごく好きで。あのころは研究者ってどういう職業か知らなかったけど、研究者みたいな生き方をしたいと思っていましたね。一生本を読んで、調べものをして、考えていけたら幸せだなと。そういうのが職業になるっていうことをいつ知ったかというと、よくわからないですね。でも、研究者ってハードルが高い気もしていたから、なれるかどうかはわからなかった。

――お生まれは?

(兵庫県)宝塚市で生まれたんですけど、すぐに大阪府の枚方市に移りました。そこに10歳までいて、(神奈川県)鎌倉市に引っ越した。父は会社員で母は専業主婦でした。学年が2つ下の弟が1人います。

 母はけっこう理系が得意で、お医者さんになりたかったらしいんです。けれど、祖父から女子が勉強するものじゃないと言われ、やらせてもらえなかった。なので、私には好きなことをやらせてあげたいと言ってくれた。私は数学とか理系が得意でしたけれど、だから医者になれとかは言われなかったし、女性が理系に進んじゃいけないなんてことももちろん言われなかった。

 父も応援してくれました。2人とも、子どもを信頼してくれた。2人がケンカしているのを見たことがありません。穏やかにしているところしか見たことがない。

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「私は良いロールモデルではない」