天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」と「敗血症性ショック」で長らく入院生活を続けていた天龍さん。今回は自宅療養中のところ、“へそ曲がり”について語ってもらいました。

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 へそ曲がり、俺たちの世界では“北向き”という言い方をするんだけど、まさに俺がその北向きな性格なわけだ。とはいえ、俺だって生まれつき北向きだったわけじゃない。相撲の世界に入って先輩の影響を受けてどんどん北向きになっていったってところだね。

 その先輩というのが、二所ノ関部屋の大麒麟関と大文字関だ。この二人はスポンサーにこびていなくて、「俺をたらしこめようとしたって、そうはいかないよ」という雰囲気を出していてね。

 彼らを見てカッコいいなって思っちゃって、俺もどんどん北向きになっていったんだよ。13歳で相撲の世界に入って、まだまだ若かったから、そういうところにピントが合っちゃったんだ。

 今思い返してみても、大麒麟さんや大文字さんは、ファンや取り巻きの後援者が少なかったね。そういう性格はスポンサーにとっては面白くないもんだ。

ビールをついだり、歌わされたり

 相撲時代は後援者が来る宴席になると、場を盛り上げなきゃいけないのが嫌で「なんで俺がビールをついだり、芸者みたいなことしなきゃなんないだよ!」って思っていたね。

 特に宴席が始まると、必ず歌わされるのが嫌だった。いつも千秋楽が終わった後の部屋の打ち上げパーティーでは終わるまで屋上にいたもんだ。和を乱すってやつだ。

 相撲取りの北向きといえばもう一人、北尾光司を挙げないわけにはいかないだろう。あいつはなぁ……。あいつも俺と同じ、相撲からプロレスに転向した口だけど、俺が幕内で勝ち越してプロレスの道に進んだことよりももっと上、横綱を経験しているからなおさらだ。

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結局「来てやった」が捨てられない