昨年12月、青葉被告の公判に、遠く東京から傍聴しようとやってきたプログラマーの男性がいる。青葉被告より1つ年下の男性は、どうしても青葉被告を一目見ておきたいと、夜行バスに飛び乗ったという。

 青葉被告は、生まれ育った埼玉県で中学時代に不登校となり、フリースクールに通っていた。この男性も、青葉被告と同じフリースクールで一緒に過ごしたことがあったという。

 当時の青葉被告についてこう語る。

「僕の知っている青葉被告は、先生を独占するように質問して鉛筆を走らせる、という勉強熱心なやつでした。勉強嫌いの生徒が多いなか、よく机に向かっていました。国語がよくできた印象があります。フリースクールに来なくなる生徒がいると、青葉被告は家を探し出して『一緒に行こう』と誘うほどでした」

 その後の青葉被告との関係については、

「フリースクールを出て、定時制高校に通うようになっていたときも、何度か会って音楽やゲームのことを教えてくれました。その後は20年以上も会っていないです。消息もわからなかった。事件から2週間ほど経った時に昔の友人から教えてもらいました。こんな凶悪事件を起こすなんて、あまりにギャップがあり過ぎました」

 法廷での青葉被告は、車いすでマスクをしており、細かな表情はうかがえない。

「青葉真司、聞いてるか」

 男性は、

「青葉被告の耳がやけどで収縮というか、ただれて小さくなっていて、やけどのひどさを感じました。犠牲になった方々は、もっと苦しかったのでしょう。青葉被告の表情からは、フリースクール時代の面影、雰囲気、優しさはまったく感じなかったです」

 と話し、沈痛な表情を浮かべていた。

 法廷での青葉被告は、反省のない発言、態度を繰り返し、時には「死ねということか!」と逆切れするような場面もあった。

 男性が傍聴した日は、犠牲になった遺族や被害者らの意見陳述が行われていた。

 被害者は、

「青葉真司、聞いてるか。生きていたいのに生きられなかった人がいて、あんたはまだ生きてる」

 と語気を強めた。

次のページ
裁判長「真摯な反省はない」