
市議会議員時代に「防災士」を取得
一つには、17年に防災士の資格を取得したこともあるのだろう。資格取得のきっかけをこう話す。
「当時は市議会議員でしたが、防災関係のさまざまな質問もしたいし、市には防災に関する施策も進めてもらいたいと思っていたので、そのためにはまず自らが取ってみてもいいのかなと思っていました。それから、議員になる前は市職員として働いていて、土木関係の仕事をしていたのも関係しています」
更に、水野市長は、19年からNPO法人富山県防災士会理事、翌20年から滑川防災士連絡協議会会長を務めるなど、災害に対する意識が高い。
いざというとき「正しく怖れる」重要性
能登半島地震を受けて、「滑川市は富山湾に面しているため、津波について思うところがあった」と話す。
「今回、津波からの避難を、報道はかなり強い口調で訴えかけていました。そうすると、やはり市民の間では東日本大震災の津波のイメージが強かったのか、皆さん一斉に避難されていました。ただ、津波が襲う可能性が低いだろう標高30~40メートルくらい地域の人たちも、すぐさま避難をされていた。もちろん、避難することは大切ですし、避難するに越したことはありません。ただ、津波のメカニズムからきちんと学んだり、日頃からハザードマップを確認したり、いざというときに『正しく恐れる』ことも同じように重要だと再認識したということです」
どこまでも真っすぐな言葉だった。
これだけ話題になっても、淡々としていた水野市長。取材時間も昼休憩の時間をあててくれたようだ。
「いつもやっていることですよ」
その言葉が印象的だった。
(AERA dot.編集部・唐澤俊介)