衝突事故で大破した日航機を現場検証する警視庁の捜査員ら=1月3日午後、羽田空港
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 なぜ、羽田空港で航空機の衝突事故が起きたのか。誰も異変に気づけなかった事故直前の「空白の40秒」。専門家は、その間にいくつものヒューマンエラーが重なった可能性を指摘する。AERA 2024年1月22日号より。

【写真】衝撃的な一枚。炎をあげて燃えるJAL機

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 能登半島地震が発生した翌日の1月2日。東京・羽田空港の滑走路で、被災地に届ける支援物資を積んだ海上保安庁の航空機と日本航空(JAL)の旅客機が衝突、炎上した。この事故により、海保機に乗っていた6人のうち、5人が死亡。JAL機の乗員・乗客379人は全員脱出することができたものの14人がケガを負った。

「普通の夜」に大事故

 衝撃的な映像とともに、事故のニュースが世界を駆け巡ってから約2週間。管制塔とのやり取りや各機長の証言などから、いくつものヒューマンエラーが重なった結果の事故であることが明らかになりつつある。

 事故は、日没後の午後5時47分ごろに起きた。当時、羽田空港の天候は晴れ。時折、弱い風が吹き、すっかり暗くなってはいたが、

「いわゆる『普通の夜』でした。暗いとやや視界は悪くなるものの、夜間の離発着は常に行われていること。被災地に向かうというイレギュラーな飛行スケジュールでしたが、海保機は羽田空港所属の飛行機であり、機長も初めて利用する空港ではなかった。取り立てて普段と違う点がない状況下で重大な事故が起きてしまった」

 と話すのは、航空アナリストの鳥海高太朗さんだ。事故直前の管制官との交信記録から、海保機は進入許可が出ていないにもかかわらず、滑走路に進入したことがわかっている。この点について、

「管制官の指示の解釈を間違えていることに、副機長も気づかなかったのだろうか」

 と首をかしげながら、こう指摘する。

「今回の事故を未然に防ぐことができたポイントはいくつかありますが、一番は海保機が滑走路上で40秒間停止していたことでしょう」(鳥海さん)

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古田真梨子

古田真梨子

AERA記者。朝日新聞社入社後、福島→横浜→東京社会部→週刊朝日編集部を経て現職。 途中、休職して南インド・ベンガル―ルに渡り、家族とともに3年半を過ごしました。 京都出身。中高保健体育教員免許。2児の子育て中。

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