木材、金属、プラスチックと、あらゆるものが燃えたことで、数歩歩くごとに違うにおいが漂ってくる。線香花火のようなツンとする刺激臭や、ポップコーンのような香ばしい臭い、そして何が燃えたのか、甘い香りもあった。
ぽつりぽつりと人影が見えた。
傘を差し、同級生と立ち話をしていた男性(62)は、火災現場から離れた市内に住んでいるが、友人や知り合いの家が心配で様子を見に来たのだという。
「LINEしとるんですけど、返事が返ってこん友達がいっぱいおるんで。家は跡形もなかったです。ほんと、涙出ます。なんでこんなことなるのかな」
そうつぶやいて遠くを見つめた。
父親(89)と一緒に歩いていた男性(59)は、父が約90年暮らしてきた実家の焼け跡を訪れた帰りだという。
「おやじが大事にしていた焼き物が一つだけ残ってたもんで、掘り出してきました。でも、最近生まれたひ孫の写真も、僕が子どものときの写真も全部なくなっちゃって。もう焼け野原で、ひどいもんですね。戦時中のことは知らないけど、こんなんだったのかな」
日が落ちてあたりが暗くなってからは、避難所になっている市役所の取材に切り替えた。
トイレもほしいです
市役所は、本館で避難者を受け入れ、新館で職員が業務にあたっていた。4階建ての本館は、エントランス、会議室、廊下など所狭しと毛布や布団が敷かれ、その上で約400人が身を寄せあっていた。
高齢者の姿が多いが、赤ちゃんのいる家族連れや、犬と一緒に避難している人もいた。避難者たちによると、まだ救援物資は受け取れておらず、水も食料も毛布も持参のものでやりくりしているという。
娘を真ん中に、妻と3人横並びで壁際に座っていた中口英明さん(59)は、「ぜいたくですみません」と前置きしつつ、「あったかいものが食べたい」と話した。
「食パンやドーナツはあるんですけど、具がなくてもいいからみそ汁とか……。あとは、口に入れたものは外に出るのだから、トイレもほしいです」