庁舎のトイレは、断水によって水が流れないため、便器がことごとく排泄(はいせつ)物であふれ、使用済みのトイレットペーパーでパンパンになったゴミ袋がいくつも置いてあった。
衛生的にも精神的にもかなり厳しい環境だが、会社の同僚と避難してきた30代の女性は、家に帰れるめどはまったく立っておらず、当面は避難所で過ごすという。
「今家に入るのは危ないし、余震も怖いし、ここにいるしかない」
そう話しているそばから、突然ガタガタと音をたてて庁舎が大きく揺れ始めた。緊急地震速報のアラームが一斉に鳴り、女性はとっさに記者の腕にしがみついた。震度4だった。
震度4~5クラスが毎晩
この3日間は毎晩、震度4~5クラスの揺れに見舞われているといい、先ほど口にしていた「余震の恐怖」の深刻さを痛感する。女性は「寝られないし全身が痛いです」と疲労をにじませていた。
隣に座っていた同僚の40代女性は、インターネットが思うように使えず、市役所のテレビもBSしか映らない状況を受け、「とにかく正確な情報がほしい」と訴える。
「いつまでこの避難所にいられるのか、なんで物資が届かないのか、道路はどうなっているのか、何も分からなくて困っています」
市の広報担当者に話を聞くと、行政側もあらゆる情報の集約が追いつかず、混乱しているようだ。救援物資も、何がどれだけの量、どの避難所に配られているのか把握できておらず、「まったく足りていないことだけは確か」だという。
年末年始で市外から大勢帰省していたため、市民用に備蓄していた物資ではとうてい足りず、しかも震災の日から2日間は市内へ通じる道路が完全に遮断されていた。3日になってようやく県道が一部開通したものの、「まずは物資の配布よりも、生き埋めになっている方々の救助活動を最優先に動いています」(市担当者)。
市役所での取材を終え、車に戻った。今晩は車中泊だ。道路の側溝を洗面所代わりに、夜空の下で歯を磨いていると、スマホに視線を落とした自衛官が近くに立っていた。休憩時間なのかと思い、話しかけてみると、同僚たちの帰りを待っているところだという。