「中ではとても暮らせないけど、避難所生活もいつまで続くか。避難所のトイレ、小は少しできるけど大のほうができないから、なるべくものを食べないように飲まないようにしていて。水は1日にコップ1杯。金沢に住んでる娘が『家においでよ』って言ってくれとるけど、厄介になるのもね……」
だからこそ家の修理や片づけを進めているのかと思いきや、池高さんは「どんなもんやろ」と吐き捨てるようにつぶやいた。
「余震もでかいやつが続いとるし、直す価値があるか……。家がまっすぐ建っとるからこそ、直すかつぶすか悩んでしまう。これからじっくり考えようと思う」
池高さんの家の隣にある仕出し料理店「作治」も、同じように倒壊をまぬがれていた。中で片づけをしていた店主の田腰弘治さん(80)は、1階部分の太い梁(はり)を指さし、「これが支えてくれるから、畳の上で柔道してもつぶれんようになっとる」と胸を張る。
「こんな天災、苦にならん」
「今は、奥の部屋をきれいに片付けて、中で寝泊まりしとる。水道はきてないけど、顔を洗ったり飲み水にしたりできるよう、きれいな雪をもってきて溶かしとるし。生活の知恵ね」
田腰さんは元々、フランス料理のシェフとして兵庫県のホテルなどで腕を振るい、40年ほど前にこの店を建てた。しかし、震災を機に店をたたむという。
「予約はいっぱい入っとったし、震災がなかったらまだ続けるつもりやったけど、もうせん。でも、どこも行かんよ。わしが建てた家に住み続ける。今まで宝塚とか姫路とか転々としたけど、やっぱりここが一番やね」
そして田腰さんはおもむろに、「俺は幸せや!」と口にした。
「今のロシアとかウクライナなんて、食べるもんも住むところもない人がいっぱいおりますわ。そう思ったら悲しんではおられん。ほうでしょう? こんな天災なんて苦にならん。全っ然苦にならん!」
にらみつけるようなまなざしと、突然強くなった語気。必死に自分に言い聞かせ、奮い立たせているように見えた。