輪島市の「朝市通り」があった火災現場。空襲にでもあったかのような惨状が広がる。鼻の奥を刺すような刺激臭が漂ってくる
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 2024年元日に起きた能登半島地震の被災地取材のため、記者は2日に羽田空港から石川県に飛び、レンタカーで金沢市内から約100キロ離れた輪島市を目指した。北上するにつれ、道路には亀裂や隆起が目立ち、山間部では崖崩れの土砂が流れ込んでいた。大渋滞のなか、3日午後3時、輪島市中心部に到着した。金沢市を出てから実に8時間半が経っていた。最初の地震発生直後の輪島市で何が起きていたのかリポートする。
【金沢から輪島に向かう道中をリポートした「前編」はこちら

【写真】地震直後の輪島市内の様子はこちら(計12枚)

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 輪島市の中心部に入ると、消防車や救急車のサイレンや、低空飛行で旋回しているヘリコプターの音が大音量で鳴り響いていた。

 輪島市役所の横に車を止めた。そこから、海側に向かって歩くと、かつて街があったと想像するのも困難なくらい、完膚(かんぷ)なきまでに破壊された景色が広がっていた。輪島市に来るまでに通ってきたどの場所より、被害が大きいのは一目瞭然だった。

 家という家は、1階部分がぺしゃんこにつぶれ、2階部分が地面にめり込んだように見える。その上に電柱が倒れかかり、頭上には切れた電線が垂れ下がっている。道路の表面はあちこちがひび割れ、せり上がったコンクリートの上には、腹を持ち上げられた格好でタイヤが宙に浮いた車が置き去りにされている。

朝市通りは黒こげに

 とりわけ、火災によって約4千平方メートルが焼失した「輪島朝市通り」周辺は、目を覆いたくなるほどの惨状だった。

 輪島朝市は、約360メートルの通りに八百屋や魚屋、土産物屋など200以上の店がならぶ「日本三大朝市」の一つだ。千年の歴史をもつ観光名所だが、今や、見渡す限りのすべてが、黒焦げになって朽ちていた。小雨が降っていたが、まだくすぶった状態が続いているのか、あちこちから白い煙があがり、空に昇っていく。

 地面には、瓦やガラス、金属片などのがれきが厚く敷き詰められ、歩くたびにパキパキと何かが割れる音がする。木造の建物はほぼ炭と化し、鉄筋コンクリートのビルは骨組みだけになってかろうじて立っている。自動車は、ドアが吹き飛びシートが溶け、中の部品がむき出しになっている。

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大谷百合絵

大谷百合絵

1995年、東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。朝日新聞水戸総局で記者のキャリアをスタートした後、「週刊朝日」や「AERA dot.」編集部へ。“雑食系”記者として、身のまわりの「なぜ?」を追いかける。AERA dot.ポッドキャストのMC担当。

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