道長は紫式部の詠歌の速さを評価し、自分の和歌では「お前も心がけ次第だ」と努力を促す。やはり管理者、家の当主である。一方『紫式部集』では、
と書きつけたるを、いととく
白露は 分きても置かじ 女郎花 心からにや 色の染むらむ
(私が歌を書きつけると、殿はたいそう素早く詠み返された
天の恵みに分け隔てなどあるまい。女郎花は、自分の美しくあろうとする心によって染まっているのだろうよ。お前も心がけ次第だ)
(『紫式部集』七〇番)
道長は、自分自身が素早く返歌を詠んだ。当時の恋歌で、和歌を詠む素早さは情熱の証しである。恋心が彼を急がせているようだ。だから、和歌は全く同じなのに「お前も心がけ次第だ」という含意に漂うニュアンスが変わる。紫式部の心ひとつで十分私の相手になれる、そう彼が誘っていると解釈できるのである。
『紫式部集』のやりとりでの彼は、家の当主などではない。朝霧のなか二人きりで逢い、咲き乱れる幾種もの花々からわざわざ女郎花を選んで贈ってくれたひと。「恋歌を詠め」と紫式部を驚かせ、「私など」と引くと即座に「お前の気持ち次第だ」と答えてくれたひと。ここには確かに恋の空気が流れている。
紫式部はなぜこのような書き換えを行ったのか。鍵は、『紫式部集』が紫式部の退職後、最晩年に非公開で作られた「自分史」であったことにあろう。秘密の作品だからこそ、二人が恋仲だった真実を明かしたのか。それとも逆に、恋仲でありたかったという自らの夢想を漏らしたのか。どちらの場合にせよ、道長はさておき紫式部は彼に想いを寄せていたと言える。