『源氏物語』の作者として知られる紫式部は、当時の権力者である藤原道長と恋仲にあったという噂が根強くある。その根拠となるのは、彼女が残した実録『紫式部日記』に記された、ある夜の出来事だ。この日記には、道長への想いがほのめかされる他の箇所もある。ここでは、『紫式部日記』から、彼女と道長の関係を平安文学と紫式部に詳しい京都先端科学大学の山本淳子教授の新著『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか――』から抜粋・再編集して探ってみる。
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紫式部「御堂関白道長の妾?」
家系図集『尊卑分脈』の注記
十四世紀に成立した系図集、『尊卑分脈』。これで「紫式部」を調べると、藤原為時の子の一人として「女子」と大書した周りに、注として次の言葉が記されている。
歌人 上東門院女房 紫式部是也 源氏物語作者……御堂関白道長妾云々
(歌人。上東門院彰子の女房〈侍女〉。紫式部がこの人である。『源氏物語』の作者。……御堂関白藤原道長の側室という)(『尊卑分脈〈そんぴぶんみゃく〉』第二篇第三 良門孫)
「妾」は、現代の「愛人」ではない。あくまでも公認された妻の一人、しかし正妻ではない関係を言う。この資料は、紫式部が道長とそうした関係にあったと言うのである。しかしそこには「云々」が付いているから、これは伝聞である。『尊卑分脈』が作られた時、まことしやかにそうした噂をささやく輩がいた。それは現代にまで伝えられて、二人の関係は様々に勘繰られている。