箱根駅伝は、1年生の活躍も見どころのひとつ。1年時の快走をステップに最強ランナーになった者も多いが、その一方で、1年時を上回る成績を挙げられずに終わった選手もいる。
1年時の箱根で歴史的な快記録をマークしながら、その後は故障に泣いたのが、山梨学院大の古田哲弘だ。
入学直後の1996年5月の関東インカレ1万メートルで優勝した古田は、8月の世界ジュニア選手権の1万メートルでも銅メダルを獲得するなど、スーパールーキーの名にふさわしい怪物ぶり見せた。
そして、翌97年の第73回大会、8区に起用された古田は、先頭の神奈川大から7分59秒遅れの5位でタスキを受け取ると、「トップは見えない。でも、できる限り差を詰めよう」と序盤から飛ばし、5.5キロ付近で早稲田大、7.5キロで中央大の両4年生をあっという間に抜き去る。さらに最後の難関・遊行寺の急坂もものともせず、戸塚中継所に入ったとき、神大との差は2分24秒まで縮まっていた。
1時間4分5秒。前年、中大・川波貴臣が塗り替えたばかりの区間記録を一気に1分43秒も更新し、往路5位のチームを総合2位に押し上げる立役者になった古田は「来年は力をワンランク上げ、自分の走りがチームの優勝につながるようにしたい」とさらなる飛躍を誓った。だが、ここから苦闘の日々が始まる。
2年時の箱根では2区を走る予定だったが、12月31日の練習中に左足ふくらはぎを痛め、無念の当日メンバー変更。仕切り直しで臨んだ3年時の2区も本来の走りが見られず、まさかの区間最下位に沈んだ。
そして、最後の箱根となった第76回大会(2000)、14位でタスキを受け取った2区・古田は、権太坂の下りまでに7チームをごぼう抜きして7位まで上がったが、前半のハイペースが祟って失速。記録は区間5位ながら、4人抜きの10位にとどまり、1年時の輝きを最後まで取り戻すことができなかった。
山登りで2分46秒差を一気にひっくり返し、チームの総合2連覇に大きく貢献したのが、神奈川大・勝間信弥だ。