そして、翌年の第82回大会(06年)、日大は2カ月前の全日本でサイモンが2区の区間新を記録するなど、14年ぶりVを達成し、箱根でも32年ぶりの優勝を狙っていた。
4位でタスキを貰った2区・サイモンは、1キロ過ぎで早くもトップに。だが、8.4キロ付近で13位から追い上げてきた山梨学院大のメクボ・ジョブ・モグスに抜かれると、リズムが狂いはじめる。さらに給水直後に「お腹が痛くなった」と脇腹を押さえて苦悶の表情で失速。最後はふらふら歩くようにして戸塚中継所にたどり着き、まさかの区間19位でチームは15位に転落した。3区から巻き返した日大は往路5位まで挽回し、総合でも優勝した亜細亜大に2分27秒差の3位。あくまで結果論だが、2区のブレーキがなければ、優勝も夢ではなかったかもしれない。
その後、サイモンは大学を中退してケニアに帰ってしまった。たった1度の失敗が、一人の選手の運命を変えてしまうことがあるのも、駅伝の怖さである。(文・久保田龍雄)
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。