98年の第74回大会、2年連続2度目の優勝を狙う神大は、1区でいきなり11位と出遅れ、エース不在ながら全員が安定した走りを見せる“総合力の駅伝”(当時は金太郎飴にたとえられた)に狂いが生じてしまう。4区・渡辺聡が区間賞の走りを見せ、4位まで上げたものの、この時点でトップ・早稲田大との差は2分46秒あった。

 そんな厳しい状況で、渡辺からタスキを託されたのが、「4年連続山登りで区間賞」というでっかい目標を掲げた1年生の勝間だった。

「渡辺さんの勢いに乗っていこうと思っていた」という勝間は、7キロ付近で中央大をかわすと、13・6キロ付近で早大も抜いて2位浮上。下りに入っても勢いは衰えず、19.5キロで駒澤大・足立康光を抜き去ると、両手でガッツポーズしながら往路優勝のゴールを切った。

 1時間11分28秒は区間2位ながら、1年生では歴代最高記録。勢いに乗った神大は、復路も駒大に4分近い差をつけて圧勝し、総合2連覇を達成した。

 だが、勝間がヒーローとして脚光を浴びたのは、これが最初で最後となった。2年時は2年連続で5区を任されたが、前年夏から体調を崩し、十分な練習を積めなかったことから、区間11位に沈む。結局、箱根を走ったのはこの2回で終わったが、1年時の“伝説の快走”は今も多くのファンの記憶に残っている。

 伝統校では初の外国人留学生選手として話題を集めたのが、04年に日本大に入学したケニア出身のディラング・サイモンだ。

 第3回大会(1922)から箱根に出場している日大は、第50回大会(74年)を最後に30年間優勝から遠ざかっており、留学生との相乗効果で、チームを劇的に変えようとした。

 サイモンは期待どおり、出雲6区では4人抜きの区間賞でチームの2年連続Vに貢献。全日本でも2区区間賞と結果を出した。さらに年明け後の第81回大会(05年)、3区に起用されたサイモンは、6位でタスキを受け取ると、1時間3分23秒で区間賞を獲得し、順位を2位まで上げた。「たくさんの人が応援してくれたので、頑張ることができた」という1年生は「来年は区間記録更新を目指します」と決意を新たにした。

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