パレスチナ自治区・ガザ地域では、ハマスとイスラエル軍との戦闘が続いている。ガザ地域は「歴史的に困難に直面してきた」と、ヘブライ大学人文学部のニシム・オトマズキン教授は語る。オトマズキン教授によるコラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」、今回はイスラエル人からみたガザの平和への「課題」について。
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ヘブライ語で「ガザへ行け!」はよく知られたことわざで、「地獄へ行け!」のような意味でよく使われます。パレスチナのファタハの創設者である故アラファト議長は、かつて怒ったときにこの表現を使い、相手に「ガザの海の水を飲みに行け!」と怒鳴っていたといいます。アラファト議長はパレスチナの初代大統領を務め、1993年、イスラエルのラビン首相(当時)との間で和平協定を結びました。
このことわざは、ガザ地域がしばしば紛争や苦難と結びつけられ、長年にわたって計り知れない困難 に直面してきたことを表しています。1967年に35万人だった人口は、今日では200万人以上に急増していますが、いまだ貧困、不十分なインフラ、限られた医療アクセスに悩まされており、国連や支援国からの援助に大きく依存しています。そしてガザは2007年以来、ユダヤ人を一掃しようとするテロ組織ハマスに支配されており、現在2カ月以上にわたりイスラエル軍との戦いの場となっています。
この戦争の始まりは10月7日、ハマスはガザ地区近郊のイスラエルの村々に対して残忍な奇襲攻撃を行い、女性、子ども、老人を含む1200人以上の大量虐殺を行いました。これはホロコースト以来最大のユダヤ人殺害です。ハマスのテロリストは、この日イスラエル人らを虐殺し、女性に性的暴行を加えただけでなく、40人の子どもと幼児を含む240人以上の民間人を誘拐しました。2カ月以上経過した今も、120人の人質がハマスに拘束されています。(人口1億2500万人の日本でその被害があったと仮定すると、1万5000人以上が殺害され、3000人以上が誘拐される計算になります)。