ただし、そこには根本的なパラドックスが存在する。とりわけ経済社会が発展すればするほど、その仕組みが複雑になり、普通の人には、具体的な政策を立案することはもちろん、それを理解することすら困難になる。

 そこで、私たちは、自分たちの代表を選挙で選んで、より良い政策の立案と実施を委ねるのだ。もちろん、選ばれた国会議員や首相は国民の意に従って行動することになっているし、仕組みの上でも選挙によってそれが担保されている。

 しかし、多くの一般庶民が選挙に行かないと、この仕組みは有効に機能しなくなる。ごく一部の少数者の意見によって選挙に行かない多数の者の利益を侵害する政治が行われてしまうからだ。独裁とまでは言わないが、民主主義による一部少数派の支配が実現することになる。

 こうした政治は合憲・合法である。自民党議員がよく使うセリフ、「政権への支持率が低いと言うが、民意を問うのは世論調査ではなく選挙であり、その選挙で勝っている自民党は、国民の支持を得ていると考えるべきだ」というのは、まさにこのことを指している。

 こうした仕組みは、解散権を時の首相が自由に行使できるという慣行によってさらに強化されている。現在は、明らかに政権にとって不利だと思われる時には、解散総選挙を避け、自分たちに都合が良くなった時だけ解散権を行使するということがまかりとおっている。国民が民意を聞いてくれと思った時には聞かず、都合の良い声が聞けるだろうと思った時だけ耳を傾けるために選挙を行うということだから、国民のためではなく、首相のための選挙になっていると言って良いだろう。

「聞く力」を売りにしている岸田首相も例外ではない。

 こうなると、国民は無力であるが、それでも簡単に諦めてはいけない。

 25年夏に参院選があり、秋の衆院任期切れまでには総選挙も行われる。

 さらに、岸田政権の支持率低下が自民党の支持率低下につながっているために地方から、岸田首相が自民党の顔のままでは選挙で戦えないという声が強くなっている。その声がさらに高まれば、自民党内の岸田おろしが強まるだろう。

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国民の見識が問われている