最後の会見が開かれた02年12月5日、実は雅子さま、二つの会見に臨んでいる。最初にニュージーランド・オーストラリア訪問を前にした皇太子さまとお二人での会見、次が39歳の誕生日にあたってのお一人での会見だった。

 最初の会見で雅子さまは、結婚以来6年間、外国訪問ができなかったことへの思いを率直に語った。「正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」という表現で、雅子さまの前に立ちはだかった「子づくり優先」の壁を述べたのだ。追加質問があり、雅子さまはそのことをこう補足している。

「子供という期待もございましたし、他方、仕事の面で外国訪問なども国際親善ということでの期待というものもございまして、そういう中で、今自分は何に重点を置いてというか、何が一番大事なんだろうかということは、随分考えることが必要だったように思います」

「幸せな人生を歩んで」

 訪問国がエリザベス女王を戴く英連邦に属す国だったことから、「将来、愛子さまが皇位を継承する憲法上の可能性について」の考えを問う質問もあった。制度のことだからと皇太子さまが「発言は控える」とした後に、雅子さまは「今の質問への直接の答えになりませんけれど」とし、こう述べた。「やはり母親として愛子には幸せな人生を歩んで欲しいなというのが、心からの願いであるということを申し上げたいと思います」。

 誕生日にあたっての会見では愛子さまのことを、「おおらかな性格といいますか、皇太子さまに似ましたのか、何ていうのかしら、ゆったりと、どっしりとしております」と述べた。これにも追加質問が出て、雅子さまは愛子さまが2、3カ月の頃から「ユーモアの感覚がある」と、皇太子さまが落としたガーゼの話から語った。

 ところが翌年12月、雅子さまは帯状疱疹で入院、長い療養生活の始まりとなる。皇太子さまによる「人格否定発言」があったのは、その翌年5月。率直な皇太子さまの発言は、理解より批判を多く招いた。このことも雅子さまを会見から遠ざけているように感じる。そんなこんなで、雅子さまの“心の傷”。先ほど書いたことだ。

 最後となった02年の誕生日会見で、雅子さまの最後の一言は「何か、取り留めもないお話になってしまいました」だった。雅子さまがまた会見を開き、取り留めない話をする。そんな日を、心から待っている。(コラムニスト・矢部万紀子

AERA 2023年12月25日号

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