60歳を迎えた皇后雅子さまは、感想を文書で公表された。結婚30年の節目にあたる今年の写真には、笑顔の愛子さまの姿も見られた(写真:宮内庁提供)

「還暦&結婚30年」の今年。期待された雅子さまの記者会見は、やはり開かれなかった。 一方、愛子さまとの関係には、卒業後への予兆も見えて……。

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 皇后雅子さまが還暦を迎えた12月9日、「ご感想」と「ご近影」が宮内庁から公表された。結婚30年の節目の年でもあり、宮内記者会は記者会見を開くことを求めたが、それは実現しなかった。

「ご感想」は国内外で頻発する災害やコロナ禍などにかなりの部分が割かれていた。中に「現在、国際社会の中で、分断と対立が深まってきているのではないかということが気に掛かります」とあって、雅子さまが外交官だった頃を思ったりする。

 国内外の状況について述べた後、ご自身の1年の活動を振り返る展開となっていた。その書き出しが「昨年から私たちの地方への訪問が再開されました」だったから、少し心が弾んだ。令和になってますますはっきりした陛下と雅子さまの対等な関係性。それを端的に表す「私たち」だった。同時に雅子さまが「公務」を我が事ととらえている。その感覚が伝わって、うれしくなったのだ。

7年ぶりに戻ってきた

 外務省の職を辞して皇室に入った雅子さま。いろいろを経て令和になった。適応障害という病はまだ癒えないが、皇后さまとして明るく雅子さまらしくいていただきたい。そんな思いがずっとある。長く会社で働き、2年前に還暦を迎えた雅子さまの“ちょい先輩”だからだと思う。

「ご近影」に目を転じると、ビッグニュースがあった。愛子さまが帰ってきたのだ。2016年、雅子さま53歳の誕生日を最後に写っていなかった愛子さまが、7年ぶりに戻ってきた。

 最後の16年、愛子さまは学習院女子中等科3年生だった。その年の9月から11月にかけて43日間、学校を欠席したと伝える週刊誌もあった。そんな愛子さま、雅子さまの誕生日の写真で激しくやせていた。

 愛子さまはベージュのカーディガン、皇太子さま(当時、以下すべて)はキャメルの、雅子さまは薄いベージュのカーディガンだった。同系色、同方向のファッションでお二人が愛子さまを励ましているように見えた。

 翌年、愛子さまは高校生になり、体調も上向いていく。18年、皇太子さまの誕生日に公表された写真にはふっくらした愛子さまが写っていた。だが雅子さまの誕生日の写真は、16年が最後。母の誕生日の写真に写るのは遠慮します──年相応の独立心と理解していた。

 愛子さまが帰ってきた理由を勝手に想像するなら、大学卒業後に向けての決意のようなものかもしれない。22年3月、成年にあたって開いた初めての記者会見で「当面は学業優先」と語っていた愛子さまが、24年3月にはいよいよ卒業する。

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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