改築のため閉場となる国立演芸場のさよなら公演「国立講談三夜」の楽屋。真打昇進を祝って神田陽子から帯のプレゼントがあったりと、お祝いムード。椅子に座るのは人間国宝・神田松鯉(撮影/鈴木愛子)

1年半かけ父の弟子に 毎日つらかった修行時代

 演芸評論家、長井好弘(68)は貞鏡が今注目されている理由を語る。

「貞鏡は若いのに貞山が得意としてきた修羅場もの、武芸者、義士伝が大好きで、こういういわゆる硬質なものを硬いまま聞かせてしまえる人というのは今そんなにいない。凛とした背中が伸びた姿勢と古風な言葉遣い、これらを不自然に聞かせないリズムと間をちゃんと持っている」

 そんな貞鏡の入門は少々型破りだ。初めて観た父の高座に心打たれ帰宅した貞鏡が、父に声をかける。

「ねぇ、どうやったら講談師になれんの?」

 タメ口である。父の答えはいつもの口癖である「知らねえよ」だった。もともと父とはあまり顔を合わさない。父は、貞鏡が小さいころ勝手に入りこみ、台本をまたいでから入室が厳禁となった稽古場に帰宅すると入ってしまう。たまに顔を合わせるたびに、貞鏡は同じ質問を繰り返した。3カ月ほど経つと、父が「いろんな講談会を観にいけ」と一言答えた。女流講談会などを観て歩くうち、ますます気持ちは固まっていく。

「やっぱり、講談師になりたいんだけどどうしたらいいの」

 と変わらずのタメ口だ。父は何も答えない。大学卒業が近づいた師走、父がいきなり「着物に着替えろ。行くぞ」と言ってきた。「どこ行くの?」と訊(き)いても答えがないのはいつものこと。母親に母の着物を着せてもらい黙って後についた。着いたのは講談界初の人間国宝一龍斎貞水(ていすい)の湯島の自宅だった。貞山は貞水に娘の入門と自分も名乗っていた貞鏡の名前をつけることを願い出た。「ていきょう? どんな字?」と思いながらもまったく何の知識もないまま08年入門が決まった。帰り道、父の行きつけのラーメン屋で黙ったままラーメンをすすり、黙ったまま帰宅した。父娘二人きりで食べる初めての食事だった。「お父ちゃん、講談師になりたい」と言い出して、1年半近く経っていた。

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