高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)/1951年生まれ。作家。明治学院大学名誉教授。著書に『さよならクリストファー・ロビン』『ぼくらの戦争なんだぜ』など多数(撮影/写真映像部・上田泰世)

 浄土真宗の宗祖、親鸞の『歎異抄』は、言わずと知れた仏教のベストセラー。何百年もの間、人々を魅了し続けている。独自の視点にたち『一億三千万人のための「歎異抄」』を出版した作家の高橋源一郎さんに、その魅力を聞いた。AERA 2023年11月27日号より。

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 書かれたものの中に自分(読み手)の入る場所がないとつまらない、というのが高橋源一郎さんの持論だ。『歎異抄』においては、時に自分の信仰心すらも揺らぎ悩む普通の人、唯円こそがこの物語の主人公だというところにたどり着く。

「これまでたくさんの翻訳が出ていますが、翻訳によってすごく変わります。なかでも唯円をただの質問者にしているものが多いことが不満でした。ぼくが繰り返し読んで思ったのは、唯円と親鸞の関係性は、他人にははかり知れないほど強かったんじゃないかってこと。おそらく唯円には、自覚していないけれど親鸞への愛に近い感情があったと思います。そして親鸞は唯円のその愛情を知っていた。『歎異抄』とは、尊敬と愛情がないまぜになった愛の物語だったんじゃないか。その部分は、親鸞が師である法然に対しても同様でしょう。イエスに直接接した弟子たちの思いだって、かなり恋愛に近い気がします。たとえばヨハネとか。宗教的な愛も、それが愛である限り恋愛に似ている。それがはっきり出ているのが『歎異抄』だと思います」

ある種の三角関係

 一方で、宗教には対立がつきものだ。他宗派の訴えで、親鸞が流刑に処されたように。

「それってある種の三角関係だと思うんです。『神』や『仏』という一人の愛の対象をめぐって争い合う関係です。政治を含めあらゆる党派の争いって見ようによっては、ちょっとこじれた恋愛関係に見える。ぼくがあえて唯円の語りを若い感じ(14歳くらい)にしたのは、そうしないとその恋愛感が出ないからです。もちろん、唯円が『歎異抄』を書いたのはだいぶ後で実際には14歳ではありません。でも親鸞を思う時、唯円はいつも少年に戻っていたと思った。これは翻訳者の特権ですね(笑)。

 唯円が親鸞を愛したってどこに書いてあるんだと言われるかもしれないけれど、これはぼくが繰り返し読んで最終的にたどり着いた結論なんです。

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三島恵美子

三島恵美子

ニュース週刊誌「AERA」編集部で編集や記事執筆、書評欄などを担当。書籍の編集も多数経験。

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