藤原道長像(『前賢故実』より、国立国会図書館デジタルコレクション)

「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」。藤原道長が詠んだ「望月の歌」は、藤原氏の栄華を表す歌として今も語り継がれている。道長はいかにして権力を掌握したのか。どのような生涯を送ったのか。『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。

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意外に豪快だった道長

 藤原道長は光源氏のモデルの一人にもあげられ、スマートな貴公子のイメージがあるが、実際は豪放磊落な性格だった。花山天皇の御代のこと、雨が降る気味の悪い夜、天皇の提案で肝だめしが行われることになり、藤原道隆・道兼・道長の兄弟がそれぞれ決められた殿舎に向かった。二人の兄は恐れて途中から引き返したが、道長は大極殿までいって柱の一部を証拠として切りとり、もち帰ったという。

 またある時、父兼家が諸芸に通じている藤原公任(頼忠の子、四納言の一人)をほめちぎり、「我が息子たちが、その影さえふめそうにないのは残念なことだ」というと、道長は「影ではなく顔を踏んづけてやろう」といったという。この逸話を記す『大鏡』は「将来、栄達する方は、心魂(精神力)が猛く、神仏の加護も強いようだ」と述べている。

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京谷一樹

京谷一樹

●京谷一樹(きょうたに・いつき) 歴史ライター。広島県生まれ。出版社・編集プロダクション勤務を経て文筆業へ。古代から近・現代まで幅広い時代を対象に、ムックや雑誌、書籍などに執筆している。執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『テーマ別だから政治も文化もつかめる 江戸時代』、『年代順だからきちんとわかる 中国史』、『「外圧」の日本史』(以上、朝日新聞出版)、『国宝刀剣 一千年を超える贈り物』(天夢人)などがある。

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