歴史は、イスラエルとガザの問題からも切り離せない。国連の事務総長は「ハマスの攻撃は理由なく起きたわけではない」「パレスチナの人々は56年間、息の詰まるような占領下におかれてきた」と発言したことで、イスラエルから辞任要求を出された。こうした発言は、テロの容認に繋がるというのだ。歴史的背景を考える行為はテロ組織に加担していることになるという主張は、近年散見される「理解できないほど残虐な行為を理解しようとしてはいけない」という考え方にも通ずる。が、それで問題が解決できるのか。
歴史は暴力を許可するライセンスでもないし、不可避な運命でもないはずだ。人は歴史の必然で暴力を行うのではなく、自らの手で行う。だからこそ、歴史を振り返ることを禁じられたら、人は同じ過ちを繰り返す。過ちの反復を「断ち切ることのできない必然」と考えるようになり、「無力感と悲しみ」に閉塞するようになる。
「なぜわたしたちは閉塞してしまったのか」という、グレーバーたちの問いがこれほど切実に響く時はない。歴史はどこにも向かっていない。向かう先を決めるのは人間だ。
※AERA 2023年11月13日号