洞窟住居で知られるカッパドキアの街並み
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 今年2月に起きたトルコ・シリア地震が記憶に新しい、アジアとヨーロッパの結節点として位置するトルコ。外務省では中東、サッカーではヨーロッパ、地理教育では西アジアに分類されている国で、中東唯一の共和国でもある。

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 トルコ人は「Middle East」という表現を極端に嫌うが、それもアラブ人のイメージが強い中東とイメージを重ねてほしくないからだろう。イスラム教徒が国民のほとんどを占めるなか、世俗主義を掲げる国家である。

 筆者は「定住旅行」という、国内を含めた世界各地で現地の家庭に滞在、いわゆるホームステイを長期で行い、そこで暮らす人びとや滞在先の家族の暮らしを体験する活動を行っている。

 筆者が11年前に始めたこのライフワークで訪れた国は50カ国以上、これまでに114の家族との暮らしを体験してきた。

洞窟を住居にする暮らし

 トルコといえば、歴史上オスマン帝国という巨大な帝国があった場所。また日本との関わりも深い。エルトゥールル号事件や、1985年のイラン・イラク戦争時のテヘランからのトルコ航空の日本人脱出支援など。親日国でもあり、以前から注目していた国の一つだった。滞在中、今回の大地震で真っ先に日本が救助に駆けつけたことについて、現地の人から何度か感謝の言葉をかけられた。

 トルコで最初に滞在したのは、日本人にもその名が知られているカッパドキア。実は、カッパドキアという地名は昔の名称で、現在はネヴシェヒル県というのが正式名。この地域にそびえるトルコで2番目に高いエンジェス山3917mとその近隣にあるハサン山からの噴出物である凝灰岩の地層が、その奇観な景色をつくり出している。

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