自分を気にかけてくれる大人がいた記憶が土台に
筆者がさやちゃんの話を聞いたとき、東京都目黒区や千葉県野田市で起きた女児の虐待死亡事件を思い出さずにはいられなかった。女性との交流を通してやっと地域に見えてきた被虐待児が、転居によってあっという間に社会から見えなくなってしまった。
女性はさやちゃんの件を自治体の各部署に相談していた。子育て支援センターはすでに訪問体制を取っていたが、2歳の妹への対応が主で、さやちゃんには具体的な対応はされていなかった。
児童虐待の通告は義務ではあるが、女性は児童相談所への通告は考えてはいなかった。一時保護所では、親との接触を避けることなどを理由に多くの子どもが学校へ行けなくなり、ますます地域から見えなくなるからだ。
虐待の疑いのある子を児相に通告して「終わり」なのではなく、女性が試みようとしたように、地域で支えていくことはできないのだろうか。
『ACEサバイバー──子ども期の逆境に苦しむ人々』の著者で、龍谷大学准教授の三谷はるよさんは「児童虐待の通告は義務」と前置きしつつ、こう話す。
「親御さん自身も子ども期に虐待などトラウマ(心の傷)になりうる逆境体験『ACE(※)』の経験者で、子育てに困難を抱えていることも少なくない。ACEサバイバーは圧倒的に自己否定感が強く、人に助けを求められず孤立してしまう傾向にあります。だからこそ、地域に、ドアをこじ開けて“お節介”をする人の存在は大切です」
三谷さんによると、各国の研究によって、ACE経験者は、経験していない人と比べて成人後に疾病にかかりやすくなったり、精神状態を悪化させたりしやすく、低収入や貧困のリスクも高いという。一方、子ども期のポジティブな体験によって、そのリスクが減ることも統計的に明らかになっている。
「さやちゃんにとってのお隣さんのように、一時期でも幼少期に自分のことを気にかけてくれた大人がいたという記憶は、さやちゃんの人生の土台になるだけでなく、がんの罹患(りかん)率やうつ病のリスクなども減らします。その子に手を差し伸べることに意義があるのです」
「お節介」が子どもの人生を変えることもある。同じ生活者だからこそ、社会から閉じようとするその扉を開けることができる“希望”を信じたい。(ジャーナリスト・黒川祥子)
※ACEは「Adverse Childhood Experiences」の頭字語。「逆境的小児期体験」や「子ども期の逆境体験」と訳される
※AERA 2023年10月30日号