わくわく感から一転 先物取引で学んだ「万が一」への備え

 米国には約9年半いた。最大の仕事で思い出もあるのが、後半に手がけた石油製品の先物取引だ。丸紅では、先物でもリスクが大きい石油類は「ご法度」だった。でも、米国市場で先物が現物の価格に影響を与え始めていた。本社に「これからは先物が主流。やらせて下さい」と訴え、何度目かに認められる。

 87年6月、ペンシルベニア州フィラデルフィアに先物の会社をつくり、自ら出向し、妻や子ども3人と転居した。「やりたいことがやれる」というわくわく感にあふれ、トレーダーとして成果を出していく。だが、3年半後に一転、嵐がきた。湾岸戦争だ。前号で触れたように取引量が激減し、トレーダーの出番が消える。日本の本社は、先物会社の清算を決めた。

 ここで得た教訓が「バックアップ」。野球で、同僚の選手がボールを扱い損なったときに備えて、後ろに回っておく「万が一」への備え。その後、後輩たちに実戦で伝えてきた。

 そんな思い出を『源流Again』の最後に、麻布学園から近い港区六本木の国際文化会館で聞いた。会館は日本の著名な建築家が本館、庭師が庭園を手がけているが、祖父の家にあった「外国の匂い」がほどよくある、と思う。社会人になってから、折に触れて訪れてきた。

 いま、業界団体の日本貿易会の会長。停滞感や閉塞感が続く日本をみると、丸紅グループの社員だけでなく、貿易立国で日本を支えていく商社パーソンたちに「わくわく感」を取り戻してもらいたい、自由な発想で、挑戦してほしい。それをバックアップするのも『源流』の先にある責務だ、と思っている。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年10月16日号