「正直、ちょっと鬱陶しいなって日本人として思う面もあるんですけど、同時にすごくいいと思うのは、財布から小銭を一枚ずつ取り出して数えている高齢者がいても、誰もいらついたり、白い眼で見たりしないところです」

 日本のスーパーではこうはいかない。レジの回転が速いのはいいが、人の流れに寸分の無駄も許さない無言の圧力に満ちている。伊藤さんは日本の電車の自動改札口で立ち往生した時、後ろにいた男性から「どけよ、ババア」と怒鳴られた経験もある。

「びっくりしました。言うのかな、それを、と思って」

「へりくだり過ぎ」な言葉が広まる社会の表層を一皮めくれば、社会的弱者や外国人に厳しい残酷な面が顔を出す日本社会。これは「効率」や「安全」を過度に求める人々の意識とつながっているように感じる、と伊藤さんは言う。

「効率よく暮らすことによって、自分の身の安全が保たれるみたいな感じ? 非効率な存在は悪だという風潮があって、自分が非効率な存在にされたくないから、人にも自分にも優しくなれないんですよ」

ハラスメントの概念が広まったのはいいが、「加害者」を出したくない余り、大学では本末転倒のようなルールも増えているという。

「ハラスメント防止のため、教授が自分の研究室に学生を呼ぶときは必ずドアを開け放たなくちゃいけなかったり、学生は必ず『さん』付けで呼ぶ、という規定だったり。驚いたのは、大学の上層部が『学生と個人的な付き合いを一切しなければいい』と発言したことです。つまり、学生と飲みに行くとか、ご飯食べに行くとか、そういうことは一切しなければいいと。それって大学じゃないじゃない、と私は思ったので、全て無視して研究室ではファーストネームで呼び合っていたし、授業の後はいつもサイゼリヤに連れていっておごったり、研究室でお酒飲んだりしてました」

「今の若い人たちは可哀そうでしょうがない」と伊藤さんは繰り返した。日本社会にまん延している「奴隷根性」は上の世代から押し付けられる形で、今の若い世代に凝縮されているように感じるからだという。

次のページ