その渡具知氏、18年2月の市長選では辺野古移設に対する賛否を明らかにせず、辺野古への言及も封印した。
私の手元に「応援メモ」と題された文書がある。市長選において渡具知陣営が作成したもので、応援に入る自民党国会議員などへの指示が記されている。
メモの最後には大きな文字で次のように書かれていた。
〈NGワード…辺野古移設(辺野古の『へ』の字も言わない)〉
続けて、メモはこう“指示”している。
〈オール沖縄側は辺野古移設を争点に掲げているが、同じ土俵に決して乗らない!〉
〈普天間基地所属の米軍機の事故・トラブルが続く中でも、『だから一刻も早い辺野古移設』などとは言うべきではない〉
つまり徹底した「辺野古隠し」こそが陣営の戦略だった。実際、辺野古移設は争点とならず、選挙戦中、渡具知陣営は相手候補が呼びかけた公開討論もすべて拒否している。
むろん名護市民のなかに、「基地より経済」を望む声は少なくなかった。だからこその勝利でもある。だが、それは必ずしも辺野古移設が容認されたことを意味しない。地元紙の調査でも、いまだ有権者の7割近くは辺野古移設に反対の意思を表明している。
一方、政府はゴキゲンだ。当時、安倍晋三首相は選挙翌日に早速、「市民の理解をいただきながら、最高裁判決に従って進めていきたい」と、まるで辺野古移設の民意が得られたかのように発言した。「『へ』の字も言わない」で獲得した勝利は、その後も辺野古新基地建設推進の方針に援用されることになる。
ところで、選挙戦で目立ったのは、3期目を目指した稲嶺氏とその陣営に対する中傷、デマの流布だった。
沖縄では国政、地方を問わず、選挙のたびに「本土発」と思われるデマが流布されるようになったが、このときが最初であったかもしれない。
具体的な根拠を示すことなく当時の稲嶺市政を批判する怪文書や、「中国の手先」「大量の運動員を名護市内に転居させた」といった情報が飛び交った。