同年7月、高江に機動隊が導入され、反対運動に参加している人々が強制的に排除された。その映像をニュースで見た大袈裟さんは、居ても立っても居られなくなり沖縄へ飛んだ。
高江がどこにあるのかも知らない大袈裟さんは、まず、那覇市内で情報収集した。たまたま入ったバーで、「高江に行きたいと考えている」と店主に伝えた。店主は呆れたような表情を見せ、次に冷ややかにこう言い放った。
「あそこに沖縄の人はいないよ。みんな日当もらっているプロ市民だから」
それを聞いて、にわかに決意が揺らいだ。「変わり者」を自認するにもかかわらず、世界観の違う人々だけのコミュニティが高江にあるのではないかと考えて、足が重たくなった。
映画を観てショックを受け、バーの店主から指摘されて再び振り子が戻る。結局、現場に行かなければ本当のことはわからない。だから「闘う」ためではなく、「知る」ために高江に向かったのである。
そして、嫌というほどに「現実」を視界に収めることになる。
むき出しの国家の暴力。理不尽。そして「プロ市民」とされる人々の姿。大袈裟さんが高江で出会った人々は、「活動家」や「運動家」として生きる人たちではなく、新たに基地がつくられることをわが身の痛みとして感じ、ぎりぎりの抵抗を試みる、当たり前の人間の姿だった。
「結局、目の前で起きていることこそが真実だと、ようやく気付くわけです」
最初は10日間の滞在のつもりだった。もう一日、もう一日と滞在を延ばしているうちに、すっかり腰を落ち着けてしまった。いまでは名護のアパートに住んで音楽活動も続けながら、基地反対運動に深く関わる。
17年11月には機動隊員が手にする誘導棒を「盗んだ」などとされ、公務執行妨害などの容疑で現行犯逮捕された。もみあいのなかで、思わず誘導棒をつかんだだけの、完全なでっち上げである。産経新聞はそれを待っていたかのように、中傷記事を書いて、結局、名誉毀損裁判で原告の大袈裟さんに負ける。
起訴されることもなく一晩の勾留で釈放されたが、時と場合によっては国家権力が「犯罪」をつくりあげるのだということも、身をもって知ることとなった。
「悪い経験ではなかったと思っています。名護署の取り調べ室では、初めて警察官と落ち着いて話をすることもできました。わかったのは、警察官もまた、ネットのデマを苦々しく思っているのだということ。日当などについても『ひどいデマだ』と渋い表情を見せていたことが印象に残っています」
半袖のTシャツから無防備にさらした両腕が日焼けを重ねるごとに、大袈裟さんは沖縄に強いられた負担の意味を理解していく。網膜に風景を焼き付け、耳奥に声を取り込み、沖縄が、いや、日本の姿が見えてくるようになった。
ありのままの姿を見せようとしない国家権力の大きさも知った。デマを流す側の姿も捉えた。それに流される人々の姿も見た。かつての自分の姿もそこにある。
揺れながら、迷いながら、たどり着いた地平で、大袈裟さんは自分のなかに新たな道をつくろうとしている。
それが「プロ市民」を自称する大袈裟さんの生き方だった。