04年には月刊誌「諸君!」(8月号、09年に休刊)が、〈プロ市民の、毎日が「反日」デー〉なるタイトルの記事を掲載した。

 いま、「プロ市民」と呼ばれて喜ぶ者はいないだろう。自立は秩序の破壊だと見なされ、“プロ”はカネ目当てであること以外の意味を持たない。

 そうしたなか、沖縄であえて「プロ市民」であることに、本来の意味を見いだそうとしている人物がいる。

 辺野古新基地建設に反対するラッパーの大袈裟太郎さんだ。

 高江で、辺野古で、彼は機動隊と対峙し、基地建設に抵抗した。名護市長選挙では稲嶺陣営のボランティアスタッフとして奔走した。

 連日、ツイキャスで基地建設反対運動の現場リポートもしていた。

 当然ながら、大袈裟こそが「プロ市民」の筆頭であると、ネット上では攻撃の対象とされている。

「だからどうした、としか言いようがないですよね」

 名護市内の定食屋でカレーライスをかきこみながら、彼は「へへ」と笑った。

「プロのラッパーである以外に、僕はこの時代を真剣に、そして敏感に生きていきたいと思っている。それを“プロ”と言うのであれば、僕に向けられたものであるなら別に構わないですよ」

 ただ――と大袈裟さんは続ける。

「カネのために運動しているといった中傷に使われるのであれば、反対運動に参加している人々のためにも大声で反論したい。誰もが何かを個人的に得るために参加しているわけじゃないんです」

 南国の陽に焼けた腕を突き出し、大袈裟さんはそのときだけ、悲痛な表情で訴えた。

「地域を守りたい、自然を守りたい、沖縄だけに負担を押し付けたくない。真剣にそう考えているからこそ、座り込む。機動隊とも向き合う。誰も個人的な損得なんて考えている人はいないですよ」

 大袈裟さんが東京から名護に移り住んだのは16年夏だ。高江のドキュメンタリー映画「標的の村」(三上智恵監督)を観たことがきっかけだった。沖縄に強いられた「現実の重たさ」にショックを受けた。

 それまで沖縄に強い関心はなかった。いや、なんとなく「知っているつもり」になっていただけだった。だが、映画で高江の存在を知ったことで、「基地の島」という紋切り型の言葉をなぞっていただけの自分自身を恥じた。高江で起きていることは沖縄の問題ではなく、日本社会の問題なのだと強く意識するようになった。

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現場でなければ本当のことはわからない