撮影:米田堅持

 最大重量20キロの重りを深さ5メートルの潜水プールの底から水面へ決められた時間内に持ち上げる「錘(すい)上げ」もある。潜水士は捜査官でもあるので、沈没した船内から証拠物を引き上げなくてはならないからだ。

「みんな体力お化けみたいな人たちで、どうしてこんなに体力があるんだろうと思います。よく海上保安官の間で、潜水士、特に特救隊クラスになると、『あの人たちは頭の中まで筋肉だから』っていうのもわかる気がしますね」

厳しい訓練は絵にならない

 研修の後半は「海洋実習」が行われる。海保大の桟橋周辺で泳ぐことから始まり、海に慣れたら次第に潜水具を装着しての捜索訓練など、難易度が増していく。

「例えば、(水面上に浮かんで位置を標示する)ブイの周辺に教官がゴルフボールを投げ込んで、決められた時間内にそれを探させる。研修生たちは海底を列になって、ブイを中心に円を描くように『環状捜索』を行う。時間切れで水面に上がってきて、『見つかりませんでした』となると、教官からめちゃくちゃ怒られます」

 写真家として悩ましいのは訓練が厳しくなればなるほど、「絵にはならない」ことだ。

「桟橋でドルフィンやっているときはまだいいんですけれど、海中に潜って捜索訓練が始まると、何も見えない。潜水具からの泡だけがポコポコと水面に浮いてきて、それが移動する。ある意味、シュールな光景なんですが、それを撮っても作品展を開けるような写真にはなりません」

 とは言うものの、夜間の訓練を写した様子は実際の救難現場のようで、緊迫感がある。当然のことながら危険度も高い。

撮影:米田堅持

50年以上殉職者ゼロ

 今回の撮影で特に印象深かったのは厳重な安全管理だ。

 潜水研修には教官2人のほか、先輩潜水士の「指導潜水士」が10人、さらに見張りを行う「支援員」が加わる。なので、研修生の人数と、教官や支援員の人数がほぼ同数ぐらいになる。

 研修生の各バディには一人ずつ指導潜水士がつき、潜水具がきちんと装着されているか、動作が適切であるか、常にチェックする。支援員はプールサイドや桟橋、船の上から溺れている研修生がいないか確認する。それらが全て一体化して研修が行われる。

「実際の救難現場でも必ず潜水士の安全管理を強化する支援員がいるんです。潜水士を養成する際には、それがさらに厳格に行われる。教官は普段、研修生に厳しい声をかけますが、一方でトラブルが起こっていないか、すごく神経を使って研修生を観察している。そういうことはここに来なければわかりません」

 海保が潜水業務を本格的に開始したのは1970年。以来、今日まで潜水士の殉職者は一人もいない。

「潜水研修を終える際、海保大の副校長が研修生を前に『君たちには殉職者ゼロの歴史を引き継ぐ重大な責任がある』と訓示して彼らを送り出した。潜水士の行動原則を実感しました」

 海保を長年撮影した米田さんでさえ、現場を訪れるたびに「まだまだ知らないことがある」と語る。

 次はコロナ禍で中断していた海上保安学校(京都府舞鶴市)と幹部を養成する海保大の撮影を再開する予定だ。

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】米田堅持「海猿への道」
富士フォトギャラリー銀座(東京・銀座) 10月6日~10月12日

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