プーチン氏とプリゴジン氏はともにロシア第2の都市、サンクトペテルブルク出身。知り合ったのは、プーチン氏の大統領就任(2000年)のはるか前だった。
「プリゴジン氏は若い時、不良仲間と女性からイヤリングなどの金品を強奪し、転売した。後ろから女性の首を絞め、失神させるのがプリゴジンの役割でした。彼は20代のほとんど、10年近くを刑務所で過ごしたのです」
「1990年に出所した後、ホットドックの販売で成功。レストラン経営に乗り出します。当時、カジノの警備にも関与した。プーチン氏はサンクトペテルブルク市でカジノの許認可をしていたので、カジノの仕事のつながりで知り合ったのかもしれません。プーチン氏は大統領になると、身の安全のため、料理は、よく知るプリゴジン氏にまかせます。日本の首相や英国皇太子などの賓客が来ると、プリゴジン氏がもてなすようになった。やがて、大統領が彼の店にくるたび、その膝にナプキンをかけてあげるようになり、関係を深めます」
プリゴジン氏は大統領の「側近」となり、態度を改めたのだろうか。
「いいえ、プリゴジン氏の暴力はやまず、自分の店に気に入らない来客がいると、川に突き落として沈めたり、店員に暴力をふるって支配したりしていました。ワグネルを創設してアフリカへ行くようになってからは、殺したアフリカ人の死体の写真を自宅などに飾っていた」
そんなプリゴジン氏をなぜプーチン氏は登用し続けたのだろうか。