――大学3年で感動してから、研究者に向けて一直線だったのですか?
いや、研究者としてやっていけるのかは、大学院に入ってからも全然自信がなかった。自分にはまったくわからないものをスラスラ解く同級生もいっぱいいたので。あ、一つ大きかったのは、ちょうど自分が読んでいた教科書を書いたマーク・ヨールさんというフランスの数学者が東大に来たんです。
私は成田エクスプレスを手配したり、迎えに行ったりして、そのとき「研究っていうのは面白くて人生をかける価値のあるものだから絶対やったほうがいい」とすごく熱く語ってくれた。私みたいなペーペーにもこうやって情熱を伝えてくれるのは格好いい、こんなふうな研究者になれたらいいなと思いましたね。
修士2年の2月に英語で初めての発表を京都でしました。そのとき知り合ったステファノ・オラさんというパリ在住の数学者に「フランスで勉強しないか」と誘われて、博士課程はフランスと日本を行ったり来たりになりました。その前に、ドクターに入ってすぐの5月に1カ月、スイスのチューリヒを研究訪問しました。指導教員の舟木先生から「向こうの先生に頼んでおいたから」と言われ、私はどんな感じか想像もつかないまま行った。それまでずっと実家暮らしで、いきなり1人で海外に行って、すごいカルチャーショックを受けました。向こうだと人種とかファッションとか言語とかも本当にいろんな人がいて、デフォルトっぽい人がいない。過ごしやすいなというのが印象に残っています。海外に行ったのはすごく良かったですね。