労働組合の青年部が開いたダンスパーティ、1957年ごろ(写真はイメージです)

 恋人を作ったり、結婚したりするには告白をするのが自然な流れ。しかし、この告白は戦後から高度成長期までは、ほとんどの人が結婚する「皆婚社会」が生んだ現象だという。なぜ日本に告白文化ができたのか。家族社会学者である山田昌弘氏の著書『結婚不要社会』(朝日新新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。

【図】世代別未婚率の推移はこちら

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皆婚社会時代の到来

 高度成長期の「出会い」について見ていきましょう。結婚する前に、まず大量の男女が知り合える場がなければ、皆婚社会にはならないはずです。

 当時は未婚の男女が全国的にあふれていました。そして若者たちは、だいたいもれなく組織化されていました。

 地方に残れば集落の青年団、都会に出れば職場の労働組合、都会の自営業の息子には町会の青年部があり、さらに理髪店なら理髪店の、酒店なら酒店の業界組合の青年部といったぐあいに、若者たちが所属するさまざまな組織があったわけです。

 そういうところに未婚の男女が大量に集っていました。そして、組織の中で知り合ってつき合うか、そのネットワークを通じて見合い相手を紹介してもらっていたのです。

 また都会に出てきた若者は、男性も女性もみんな正社員として雇われました。だから職場の趣味のサークル(当時は、ほぼ職場にしか「サークル」と呼ばれるものがなかった)で出会うこともできました。

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山田昌弘

山田昌弘

山田昌弘(やまだ・まさひろ) 1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主な著書に、『近代家族のゆくえ』『家族のリストラクチュアリング』(ともに新曜社)、『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『新平等社会』『ここがおかしい日本の社会保障』(ともに文藝春秋)、『迷走する家族』(有斐閣)、『家族ペット』(文春文庫)、『少子社会日本』(岩波書店)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)などがある。

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